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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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2016年7月7日 ケンタッキー州ウィリアムズタウンに「アーク・エンカウンター(箱舟との遭遇)」がオープンしました。

この施設の目玉は神がノアに作りなさいと仰せられた「ノアの箱舟」を創世記6: 14-16に記してある通りのほぼ実物大(長さ約155m/510ft.、幅約26m/85ft.、高さ約16m/51ft.)に再現した世界最大と言われる木造建造物です。
(聖書中は、長さ300キュビト(133.5m)、幅50キュビト(22.2m)、高さ30キュビト(13.3m))

また箱舟の中も、聖書に記してある通り3層になっており、聖書の事、ノアの箱舟の事等を中心に様々な展示があります。箱舟の外には、動物園やレストラン、ジップライン、化石を発掘する施設などが備えてあります。更に、閉館後から翌日にかけてノアの箱舟に滞在できる「OVERNIGHT ADVENTURES」と言うプログラムもあるようです。

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 この「アーク・エンカウンター(箱舟との遭遇)」は、米ケンタッキー州にある創造博物館を運営する宣教団体「アンサーズ・イン・ジェネシス(答えは創世記に)」(AiG)によって建設(製作)、運営されています。


私は、聖書の中に明確・詳細に神からの指示がある「ノアの箱舟」「幕屋」「神殿」等の箇所を読む度に聖書の御言葉を頭の中で図化(イメージ化)しようと挑戦しました。 ですが、あまりにも詳細過ぎて私にはできませんでしたので、インターネットにあるイメージ図の力を借り、私なりのイメージを作り上げ、その中で行われる(行われた)ことを想像しました。 特に、2014年に公開された「Noah (ノア―約束の舟) 」を見た後は、箱舟の事は勿論、箱舟製作、箱舟の中での生活中のノア、そしてノアの家族の気持ちを考えずにはいられませんでした。

主の心にかなった人であったノア。

悪が増大していたその時代に、神が仰せになった通りにこんなに大きな舟を約100年と言われる歳月をかけて製作し続け、箱舟の中に動物と共に入り、大洪水を経験したノアとノアの家族。

私にその信仰があるだろうか・・・・?

神は、ノアの時代の人々にも神と共に歩むことを願われましたが、人々はその道を選ばず滅びました。同様に、この時代も神は一人でも多くの人が主に立ち返り、救われることを願っておられます。イエス様は再び来られます。それは、ノアの日の様に。

マタイの福音書24:37-39
37人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。 38 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。 39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。


全ての写真は
https://arkencounter.com/
より引用。

(KS)

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2017.02.21 03:26 | その他

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今日は、”人間の可能性”ということを考えてみました。


人間の可能性に関して、世の中を見まわして感じることのひとつは、人間の可能性はその人の能力次第ではなく、その人の心次第であるということです。つまり、心が何を信じているかで、その人の生き方は決まってしまうと言っても過言ではないと思います。


もし、その人の心が医者になると決めていれば、その人は将来、医者になるでしょう。もしその人の心がプロ野球の選手になると決めていれば、その人はきっとそうなるでしょう。もちろん、そこには様々な困難の壁が立ちはだかるでしょう。しかし、単なる願望ではなく、心が決まってさえいれば、その人はどんな困難の壁があろうと、心が決めた道を突き進み、やがて目標を達成していくのです。


二本指のピアニスト、イ・ヒアさんをご存知でしょうか? 彼女は1985年9月生まれの31歳。先天性四肢奇形で両手に2本ずつ、全部で4本の指しかなく、さらに膝下の足もありません。そんな彼女が、文字どおり、血のにじむような練習を重ねて、世界中の人々に感動を与えるピアニストになったのです。


彼女がまだ5歳のとき、指の関節の力もなく、鉛筆も満足に持てない彼女に、お母さんは関節の力をつけさせようと、ピアノを習わせました。ところが、思うようにピアノを引けない彼女にしびれを切らした先生は、「この子には才能がない」とさじを投げてしまいます。


そこで、お母さんは自分がピアノを習い、それを娘に教えるということを始められたのです。わが子に必要なものを得させるために、愛をもって心を鬼にし、娘がどんなに練習を嫌がっても、それを許さず、一日に10時間以上練習させることも珍しくありませんでした。


ヒアさんは、そのような厳しい母親に対し、「この人は本当に私の母親なんだろうか」と憎しみを覚えることもあったようです。しかし、彼女はその厳しい練習に耐え、信じられない可能性が開花されていったのです。それはヒアさんの努力の賜物であると共に、お母さんがそうすることを心に決められたからだとも言えるでしょう。


ヒアさんは、ピアニストとして世界中で活躍するようになった今、「私を産んでくれた母に、私をここまで育ててくれた母に心から感謝したい」、「私の演奏で、多くの人が勇気をもってくれたら嬉しい」と言われます。


一日10時間に及ぶ練習は、確かに彼女にとって過酷な戦いだったでしょうが、そのおかげで、以下のような栄誉に与ることができたのです。


7歳にして学生音楽コンクールで最優秀賞を受賞。

1993年6月、第6回全国障害者芸術大会で最優秀賞を受賞。
1997年10月、初のリサイタルを開催。

1999年、障害克服大統領賞を受賞。

金大中大統領の招きで、青瓦台(大統領官邸)での演奏を行う。

2000年10月、シドニーで開催されたパラリンピックにて祝賀演奏。

2001年5月、世界原子力会議での招待演奏。

2002年4月、愛の音楽会の招待演奏で、江南シンフォニーと協演。

2003年1月、アメリカ、カナダ・ツアーを行い各地で絶賛。

12月には韓国の名ソプラノ、スミ・ジョーと共演。

2004年6月、KBS交響楽団と協演。

2005年2月、カナダ・ツアーを行う。


また数多くのマスコミで採り上げられたほか、童話、マンガ、DVDなど多くの媒体で紹介され、さらに国内外で多数の演奏会を開くなど、立派に障害を乗り越え、多くの人々に勇気と感動を与えています。


ある音楽家の方が、このようなコメントをしておられます。


「ショパンの幻想即興曲を弾く彼女の姿をテレビで見た時は信じられませんでした。指10本でも右手と左手を合わせるのが難しい難易度の高い曲です。彼女は、この1曲を仕上げるためにどれだけの時間をかけたのでしょうか。音大卒の私は、一日8時間以上ピアノに向かうことが普通だってことや、弾けない箇所があれば、たった2小節を何時間でも練習することが当たり前だということも知っています。私はクラシックとは、人間の限界の境界に存在する音楽だと認識しています。指が10本あったとて、1曲を完全に仕上げるためには、それくらいの努力が必要なのです。」


それでは、イ・ヒアさんの演奏と練習模様をお楽しみください。こちらから


演奏を観ていると天使が一緒にピアノを弾いているようでした。



今日の一言: 心を決まって努力をすれば誰にでも計り知れない可能性が広がる



鶴田健次


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2017.02.18 05:37 | お知らせ
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キリシタン大名・ユスト高山右近(15521615年)が「福者」に認定されたことを宣言するカトリックの列福式が27日、大阪城ホールで行われ約1万人が参列しました。「福者」は最高位の聖人に次ぐ称号です。

 

日本カトリック司教協議会の岡田武夫・東京大司教が、福者の列にユスト高山右近を加えるよう請願しました。ローマ法王の代理としてバチカンから派遣されたアンジェロ・アマート枢機卿(すうききょう)は、「ユスト高山右近を福者の列に加えます」と法王の書簡を代読しました。

その後、聖画家・三牧樺ず子(みまきかずこ)さんが描いた右近の肖像画が除幕され、会場に映し出されました。  

 

アマート枢機卿は説教の中で、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ1224)、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ1520)の御言葉を引用され、これらは右近の中に実現することになったと話されました。

カトリック系の学校の生徒や各地の信徒からなる大合唱団や、学生たちのオーケストラの調べが会場いっぱいに厳かに響き渡りました。


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右近はキリシタンであった父に導かれ、12歳のとき母と共に授洗しました。ユストは右近の洗礼名。

右近は、戦国の乱世を生きる中、ゆるぎない信仰を身につけ、高槻城下の領民の多くがキリスト教徒となり、また武将や大名たちを洗礼に導くほど影響を与える存在となりました。

 

その右近が高槻城主の時、ある村人が亡くなった際、棺桶を作らせその上を白の十字架を付した黒緞子(どんす)の棺布で覆い、父親の高山友照と右近は、棺を担う役を引き受けたと、フロイスの「日本史」に記されています。村人たちは大変心を打たれたそうです。

 

また右近は、戦国武将として織田信長や豊臣秀吉に仕えましたが、秀吉がバテレン追放令を出した折、秀吉は右近の才能を惜しみ千利休を遣わせて棄教を促しましたが、右近は「主君の命令に背いても志を変えないのが真の武士である」と答え、利休に説得を諦めさせた、という逸話があります。千利休は右近の茶道の師匠で、右近の茶の湯は「キリシタンの茶の湯」であり、徳操、叡智を養う場、また祈りの場でもあったそうです。

このことにより右近は、地位と領地と財産のすべてを捨てる事を選び、自らの信仰を守り抜き、流浪の民となることを選んで世間を驚かせました。

 

1614年に徳川家康によりキリシタンの国外追放令が出され、金沢の前田家に身を置いていた右近は迷惑が掛かるとして、雪が降る215日に家族と共に徒歩で金沢を出発し、大阪からは船で長崎に向かいました。長崎からフィリピン・マニラに送られる船エステバン・デ・アコスタ号に乗り、順調なら10日程のところ、43日間の過酷な航海を経て12月にマニラに到着しました。

マニラに到着するとスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けましたが、旅の疲れや慣れない気候で病にかかり、161523日に天に召されました。63歳でした。

 

列福式の翌日28日、教皇フランシスコはバチカンでの一般謁見の席で、福者ユスト高山右近を信仰と愛の模範として振り返られました。

教皇は右近を、信仰において決して妥協することなく、名誉も豊かさも放棄し、卑しめられ、流刑となることを選んだその生き方は、キリストとその福音に忠実であり続け、「信仰における剛毅と、慈愛における献身の感嘆すべき模範」、として称えられました。


MU

 

高山右近の生涯についてはWikipediaをご覧ください。

(注*Wikipedia の生い立ちで「10歳でキリスト教の洗礼」とありますが、列福式の中では12歳で受洗と紹介されました)

参考

列福式の動画

http://www.asahi.com/articles/ASK2745L8K27PTFC004.html

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23189/20170208/takayama-ukon-reppuku.htm

 

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2017.02.15 19:51 | その他

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