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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

ペンギンさん_convert_20170922213622 


今日は、”一歩を踏み出す”ことの大切さについて考えてみました。



道は近くても行かねば到達せず、事は小さくとも行わなければ成就しない。


これは中国のことわざですが、まさに、その通りですね。ああでもない、こうでもないと言うだけで、何もせず、いたずらに思い悩んでいても何の役にも立ちません。大事なことは、まず行動を起すことです。


明日こそ、明日こそと考え、ああしたらこうする、こうしたらああすると、いくら胸をふくらませ、夢を広げても仕方がありません。‘こそ話’、‘たら話’はいつまで経っても何も起こらないのが世の常。どんなに小さな一歩でも、まず歩き出すことが大切です。一歩を踏み出せば、必ず先へ進むもの。そして、一歩が千回繰り返されれば、千歩の距離になります。とにかく、どんな目標も、そこに向かって進み続けさえすれば、必ず目標に近づくのです。


旧約聖書の箴言6:6を見ると、「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」とあります。

イソップの「蟻とキリギリス」の寓話は、この聖書の言葉に題材を得て作られたと言われています。この言葉に続いて、
「蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める」とあります。今は勤勉に頑張ることが、ダサいと思われる時代かも知れませんが、蟻を見習いなさい、と箴言は教えています。

生きていることの証しは、人生の目標を掲げ、そこに向かって一歩一歩と近づいていくことではないでしょうか。たとえその目標がどんなものであれ、目標に近づく唯一の方法は一歩ずつの繰り返しであることを心に留めましょう。


もし一日でも動き出すのが遅れると、それだけ後悔する量が増え、それが人生の重荷になるかも知れません。日々、神を認め、神の知恵の言葉に耳を傾け、その御心のうちを歩む、ゆるぎない人生を築いていきましょう。



今日の一言: 神の知恵に耳を傾け、次の一歩を踏み出そう



鶴田健次


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2017.09.22 21:37 | お知らせ

牧師室より#352「感謝は失望を喜びに変える」_convert_20170915235212 


今日は、"感謝は失望を喜びに変える"ということを考えました。

 


主にある喜びを持ち続けるための良い方法は、事ごとに感謝をもって祈ることです。祈りには驚くべき力があります。もちろん、祈りを通して、私たちは直接的に心の平安と喜びを与えられます。


しかし、さらに素晴らしい事は、祈りが神の御手を動かし、驚くような神の御業をもたらしてくれることです。そして、この神の御業の経験は、私たちの理性を超えた平安と喜びを私たちに味わわせてくれるのです。


この祈りの偉大な力を考える時、見逃してはならない大切な事が一つあります。それは、祈りというものがキリストの名によって祈る祈りであるということです。


私たちは祈りの時、「イエス・キリストの御名によって祈ります」と言いますが、この言葉には、「イエス・キリストを信じます。イエス・キリストを通して祈ります。神がイエス・キリストを通して、この祈りに答えてくださることを感謝します」という意味が込められています。


ある一人の女性が、夫をなくし、生きる気力を失っていました。彼女にとって人生はもはや生きる意味を持ちませんでした。ところが、ある日、一人のクリスチャンが彼女を訪ね、「私はあなたの事を神様に感謝しています」と言いました。


その時、彼女は突然、自分がまだ誰かに必要とされていること、また自分にまだしなければならない事があるということに気付かされ、その感謝の言葉のおかげで、意気消沈した気持ちが消え去るのを経験しました。


皆さんの中に、生きる気力を見出せないでいる方はいらっしゃるでしょうか。落胆の中にいる人は、「もしあなたが私と同じ問題を抱えれば、私と同じ気持ちになるはずだ」と言うかも知れません。しかし果たしてそうでしょうか。この感謝という魔法の杖は、私たちに生きる気力と自信を持たせてくれるのです。


讃美歌作者として有名なファニー・クロスビーという人がいます。95歳で天に召されるまでに9000もの賛美歌の詩を書き、その中の8000が出版されたという偉大な讃美歌作者です。彼女は一歳のとき父親を亡くし、母親に育てられるのですが、彼女がまだ生まれて6週間にしかならない時、医者の不注意な過失によって目が完全に見えなくなってしまいます。


こんな悲劇は、誰にとっても、人生に行き詰まりを覚えさせる辛い出来事ですが、驚いたことに、彼女にとっては別でした。彼女は、後になって、自伝の中にこう書いています。


「私が、一生涯、盲目であるという事は、祝福に満ちた神様の摂理であり、私はその事を天からの贈り物として神様に感謝します。」


彼女を盲目にさせた医者は自分を赦すことができず、また自分のした事と向き合う事も出来ず、その町からいなくなってしまいました。しかし彼女はその自伝の中で、こう書いています。


「もし今、私が彼に会うことが出来たら伝えたいのです。私の目を見えなくしたことで自分を責めないで下さいと。あなたにとっては失敗だったかもしれません。でも神様にとって失敗はありません。私が肉体的に暗やみの中で生涯を暮らすことは神の御旨だと私は信じています。見えない事を通して多くのものを見ることが出来、神様への讃美を歌い、他の人々を励ますことが出来る者とされたのですから。私は世界中で一番幸せな者だと思います。ですから、私はあなたに、私の目が見えなくなるようにして下さって有難うと心から言いたいのです。」


この盲目を多くの人は“呪い”と考えるでしょう。しかし彼女はそれを神様からの贈り物と考え、神様に感謝しました。それは、もし彼女が視力を失わなかったら、これだけの賛美歌を書いて、世界中の人々を励ますことなど出来なかったからです。そしてその感謝が、神の御手を動かし、彼女に9000という膨大な数の賛美歌を書かせたのです。まさに感謝は大きな悲しみ、大きな失望を、喜びに満ちた心に変えるのです。



今日の一言: 感謝は失望を喜びに変える



鶴田健次


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2017.09.15 23:56 | お知らせ

牧師室より#351「親を敬う子供を育てることの大切さ」_convert_20170908232852 

今日は、”親を敬う子供を育てることの大切さ"ということを考えました。


 フォーカス・オン・ザ・ファミリーの代表であるジェイムス・ドブソン博士は『思い切ってしつけましょう』という本の中で、しつけをされなかった男の子の例を書いています。


 あるお母さんが3歳の男の子を寝かしつけようとすると、息子がお母さんの顔につばをかけました。母親は、愛と話し合いだけで子供は育てるものだという教育理論を信じていたので、ただ「だめよ」と言っただけでした。


 すると、息子はまたお母さんの顔につばをかけました。お母さんは最低限の怒りを示しました。すると、3度目のつばをかけました。そこで、お母さんは部屋から逃げ出してしました。思い起こすと、その時から親と子供の関係が決定的に逆転したとそのお母さんは言っています。


 それから、その息子が13歳になると、夜中の2時前には家に帰らない子供となり、親は完全にお手上げ状態になっていました。


 子供は親を尊敬し、親に従うことを第一に学ばなければなりません。なぜなら、子供に最も大切なことを教えてくれるのは親だからです。もし、子供が親を無視したり、馬鹿にするなら、教育を受けずに育ったのと同じです。子供は親を尊敬する。親は、親を尊敬する子供に育てるということが聖書の大事な教えです。


 では、親を尊敬する子供に育てるにはどうすればいいのでしょうか? それは親である自分が自分の親を尊敬し、大事にすることです。それが最も効果的な方法です。子供は親の生き方を真似るからです。


 グリム童話に、こんな小話があります。


 むかしむかし、ひどく年を取ったおじいさんがいました。おじいさんは目は悪く、ボンヤリとしか見えません。おまけに耳もよく聞こえず、いつも膝をガタガタと震わせていました。テーブルに座っても上手くスプーンを持つ事が出来ず、いつもスープをこぼしました。 おじいさんの息子と嫁は、その事が嫌でたまりませんでした。


 そこで二人は、おじいさんをテーブルから見えない様に暖炉の後ろに座らせ、そこで食事をするように言いました。のけ者にされたおじいさんは悲しそうな顔をして、いつも隅のほうで食事をしました。


 ある時、震える手で食事をしていたおじいさんは、皿を床に落として皿を割ってしまいました。息子と嫁はブツブツと文句を言うと、その日はおじいさんに何も食べさせませんでした。「豚のように食べるのなら、桶で食べなさい」と嫁は言って、小さな木の桶を買い、次の日からおじいさんは、その小さな木の桶に入る分しか食べさせてもらえませんでした。

 ある日、四才になる男の子が、小さな板きれを集めて何かを作っていました。それを見たお父さんが、男の子に尋ねました。


「お前は、そこで何をしているんだね?」
男の子はニッコリ笑うと、お父さんに答えました。
「ぼく、これで小さな桶をこしらえるんだよ」
「ほう、上手いもんだね。でも、そんな小さな桶を何に使うんだい?」
「うん。ぼくが大人になったらね、お父さんとお母さんは、この桶でご飯を食ベるんだよ」
 

 これを聞いた息子と嫁は、しばらく顔を見合わせていましたが、やがて二人とも泣き出してしまいました。そして二人は暖炉の後ろにいるおじいさんを、すぐにテーブルのところへ連れてきました。

 この時から、おじいさんはみんなと一緒のお皿で、みんなと一緒に食事をする事が出来ました。そしておじいさんがスープをこぼしたり、震える手でお皿を割っても、二人とも何も言わなくなりました。


 いかがでしょう。この小話が語っているのは、「親を大事にしなさい。さもなければ、自分の子供たちが将来あなたを大事にしてくれませんよ」という戒めのようです。もちろん、これは親だけではありません。すべての人に対してそうです。


 人を大事にすることを心がけましょう。そうすれば、あなたの子供は必ずあなたを大事にし、人を大事にする人間になることでしょう。


今日の一言:あなたの父母を敬え


鶴田健次


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2017.09.08 23:25 | お知らせ

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