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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#330「グッドフライデー」_convert_20170415030137 


今日は、‘グッドフライデー’について考えてみました。


今日はグッドフライデー。そして次の日曜日がイースター。今から約2000年前の今日、イエス・キリストは人類の罪の贖いのために十字架に架かり、三日後の日曜日に死から復活することによって死に打ち勝つ道があることを明らかにすると同時にし、ご自分を信じる者に罪の赦しと永遠の命を保証して下さいました。 


イエス・キリストが十字架のつけられたとき、その両側に二人の強盗も一緒に十字架につけられましたが、聖書が十字架の二人の強盗の出来事を記録している理由は二つ考えられます。


第一の理由は、死の直前でも、悔い改めた一人の強盗が救われたように、どんな状況にある人でも、イエス・キリストを信じて受け入れるなら救いを得ることができるということを教えるためです。


 また第二の理由は、もう一人の強盗が、前の強盗と同じキリストの姿を見て、また同じキリストの祈りを聞いたにも拘わらず、キリストを救い主として受け入れなかったがゆえに救われることなく永遠の滅びに至ったという厳粛な事実を示すためです。


キリストが死なれることは、神のご計画でした。しかし、神の御心を知らない人々は、あざけりと非難の言葉を十字架上のキリストに投げかけました。しかしキリストは、何の反論も弁明もせず十字架にかかられたのです。なぜなら、キリストがそのような呪われた者の姿になることが神の御心だったからです。

イエス・キリストは私たちの罪が赦されるために、身代わりの裁きを十字架で受けられたのです。だからこそ、どんな人々のどんな辱めもキリストは忍んで受けられたのです。それは、どんな人々のどんな罪をも引き受けて、身代わりの裁きを受けるためでした。


キリストが十字架の上で死なれたということには、もう一つの側面があります。それはキリストが自発的にご自分の命を捨てられたということです。イエス・キリストはユダヤ教の指導者たちに迫害されておられたとき、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のために命を捨てます」と言われました。それから、それに続いて、「誰かが、私からそれを取り去るのではない。私が、自分からそれを捨てるのである。・・・・・・これは私の父から授かった定めである」とおっしゃったのです。つまり、イエス・キリストは自らご自分の命を捨てるのだ」と言われたのです。


歴史家たちは、当時のユダヤ教の人々によってイエス・キリストは十字架につけられたと言います。出来事としてはその通りです。しかしイエス・キリストは、殺されたくなかったのに殺されたのではないのです。キリストは、ご自分から命を捨てるために、十字架にお架かりになったのです。


イエス・キリストの十字架の死によって、どんな人も救われる世界が始まりました。


キリストは十字架の上でご自分を十字架につけた者たち、またご自分を罵る者たちのためにこのように祈られました。 父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、 自分でわからずにいるのです。」 この「彼ら」には、あなたや私やすべての人が含まれています。


しかし、この場で救われたのは、二人の犯罪人のうちの一人でした。マタイによる福音書によると、はじめは二人ともキリストを罵っていたのです。ところが、この犯罪人は、キリストのそばにいて、その人格に触れ、自分が送ってきた人生を反省し、神を恐れない人間として生きてきたことに気づき始めたのです。


そして、イエス・キリストに、こう言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」 するとキリストは、「まことに、あなたに告げます。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と約束されたのです。


今日の一言: キリストの十字架は我が罪のためなり


鶴田健次


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2017.04.15 03:05 | お知らせ

牧師室より#329「天に宝を蓄える」_convert_20170408002619 

今日は、‘天に宝を蓄える’ということを考えてみました。


私たちに与えられている地上の生涯には限りがあります。100歳以上まで長生きする人もいれば、20歳の若さで死ぬ人もいます。冷静に考えれば、明日の命は誰にも保証されてはいません。そう考えれば、一時的なもののために人生を無駄にしてはならないことを思います。


「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18)


私たちは、どうでもいいような事のために多くのエネルギーを浪費し、永遠のためには何と僅かなエネルギーしか使っていないことでしょうか。私たちは一時的なもののために人生を無駄にすべきではありません。


イエス様は、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである(ルカ9:62) 」と言われました。


また、使徒パウロは、「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです(1コリント7:31)」と警告しています。


何かがあなたの使命を邪魔していませんか? それが何であれ、それを手放してはいかがでしょう。ヘブル書の著者は、「私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか(ヘブル12:1)」と言っています。


私たちはどうしたらこれができるでしょう。最も誤解されたイエス様の言葉ですが、「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです(ルカ16:9)」とイエス様はおっしゃいました。


もちろん、イエス様は友をお金で買いなさいと言われたのではありません。イエス様が意味されたことは、この世の富を人々をキリストに導くために使うべきだということです。そうすれば、あなたが天国に行ったときに、彼らがあなたを永遠の友として迎えてくれるだろうということなのです。それこそが、地上の人生であなたにできる最高の投資であることを聖書は教えています。


私たちはよく、「死んだら何も持って行けない」という言い方をします。まさにその通りです。しかし、聖書は、天国に行く人々のために投資することによって、それを前もって天に送ることができると教えています。


「こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。」(1テモテ6:19) 


皆さんは、多くの事に心を配って思い煩ってはいませんか? 無くてならないものは多くはありません。さあ、しばらく立ち止まって、イエス様の次の言葉を瞑想してみてください。


「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」(マタイ6:19-21)



今日の一言: 天に宝を蓄えよう


鶴田健次


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2017.04.08 00:27 | お知らせ

牧師室より#328「若さの秘訣」 


今日は、’若さの秘訣’について考えてみました。


私も先月64歳になり、物忘れ、記憶力の低下、体力の衰え、食欲の低下、と身体のいろいろな機能が低下していることを少しずつ感じるようになりました。そして若い時には思ったこともない「若いっていいなあ」ということを時どき思うようになりました。


しかし、周りを見渡したり、テレビや雑誌を見たりして思うことは、男性でも女性でも、70歳、80歳、90歳という人々の中に10歳も20歳も若く見える溌剌とした方々がおられるということです。また、見かけだけでなく、体力的にも10歳から30歳も若い体力を持っている方が実際におられることには驚きです。


さて、私たちが生きている世界には、すべての生物に共通して働いている法則があると言われます。その法則の一つが【成長の法則】です。

例えば木を考えてみると、

小さな種が発芽し、芽がはえて、徐々に大きな木に成長していきます。
成長がとまると、木は徐々に枯れていくことになります。

成長が止まると枯れ始めるのです。

動物も人間も、子供から大人、そして老人へとサイクルが続きます。
そして、成長が止まると枯れ始めるのも植物と同じです。

そして私達人間の成長には、肉体面と精神面とがあります。
肉体の成長がストップし老化し始める年齢は、個人差が少ないのですが、

精神面での成長がストップする年齢というのは、個人差が大きいようです。

だから人間には、30歳にして精神面での成長がとまり、心身ともに老け始める人もいれば、60歳なのに、精神面では成長を続けていて、だからこそいつまでもイキイキと若々しいのです。

精神面での成長がストップする年齢は人によって違うため、同じ歳でも「若々しい人」と「老けた人」とが出てきます。

さて、あなたは現在、精神面での成長が続いていますか?
それとも精神面での成長が、止まっているでしょうか。


先日、こんな詩を目にし、改めて本当の青春とは何かということを考えました。


青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな創造力、炎える情熱をさす
青春とは人生の深い泉の清新さをいう
青春とは臆病さを退ける勇気 
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する
時には、20歳の青春より60歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる
歳月は皮膚にしわを増すが、
熱情を失えば心はしぼむ
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い 
精神は芥になる
60歳であろうと、16歳であろうと人の胸には、
脅威に魅かれる心、
幼な子のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある人から
神から、美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り
君は若い霊感が絶え、
精紳が皮肉の雪に覆われ、
悲嘆の凍りに閉ざされる時、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波を捕らえる限り、
80歳であろうと人は青春にして己む


本当に考えさせられる詩です。聖書にも年老いてなお青年の志で生きた人が何人も登場します。75歳で祖国を離れ新しい地に向かったアブラハム、80歳で出エジプトを指揮し数百万のイスラエル人を約束の地に導いたモーセ、85歳でアナキ人を追い出しヘブロンを手に入れたカレブ、いずれも主にあって心若き人々です。


預言者ヨエルは、「若者たちは幻を見る」と言いました。つまり、若々しさのしるしはVisionを持つことだということです。あなたはVisionをお持ちですか。ぜひ若さの証しであるVisionを持って、いつまでも若々しく生きてください。



今日の一言:Visionを持つことこそ若さのしるし



鶴田健次



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2017.04.01 04:02 | お知らせ

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