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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

        1596d3Palestineザーカイの木a
この木は収税人ザーカイが登った「いちじく桑の木」です。
イエス様がエリコの町を通っておられる時、背が低いザーカイはイエス様を見るために先回りして写真の「いちじく桑の木」に登った、その木です。 (お話しには続きがありますので、ルカの福音書19章をどうぞ)

なぜこの木が「ザーカイが登ったいちじく桑の木」だとわかるかと言うと、エリコに「いちじく桑の木」はこれだけしかないこと、木の樹齢が2000年を越している、からなのだそうです。

話は前後しますが、イエス様の洗礼場所ヨルダン川のカサル・エル・ヤフドから南西へ10km位でエリコ(Jericho)に到着しました。エリコはパレスチナ自治区の中にある人口2万人ぐらいのアラブ人の町です。下の写真はバスで通った町の風景。ザーカイの木はこのような町の中の一角にありました。
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エリコは古来から地下水が豊富でいくつも泉があり、砂漠のオアシスと言われています。またエリコは、海抜マイナス250mの低地にあり、世界最古の町としても有名です。
下の写真は町角にあった泉の前で撮った集合写真です。後ろには「Jericho The oldest city of the world ・世界最古の町エリコ」と書かれています。そして「Elisha Spring Fountain」と書いてありましたから、エリシャの泉(第二列王記2:19ー22)から引いたものなのでしょう。
この日はエリコで昼食のアラブ料理をいただきました。
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エリコ市内から「誘惑の山・Monastery of Temptation」が見えます。
ルカの福音書4章1節~13節、「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を"霊"によって引き回され、 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。・・・・・」 下の写真がその山です。
かつて、イエス様の苦行を追体験しようと修道士たちが穴を掘ってこの山に住んだと言われています。

樹木が見えない岩ばかりの山の中腹に、12世紀に建てられ19世紀に改築されたギリシャ正教の修道院「デール・クルントゥル・Deir-Qurantul・40日の修道院」という建物が、ひと際目だって岩肌にくっ付いて見えました。
誘惑の山全景a
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早速、かわいらしい3連結のロープーウェイに乗りました。
ロープーウェイの始発駅の隣には、「テル・エッ・スルタンTell Es-Sultan」という広い遺跡があって、ロープーウェイから良く見えました。何でもこの遺跡、古代~旧約聖書の時代までが23位の層になっているということです。次回チャンスがあったらぜひ行ってみたいところです。下の写真が「テル・エッ・スルタン」の一部です。
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ゆっくりと上っていくロープーウェイの景観を楽しみながら、終点駅の山の中腹に着きましたが、修道院には入れないということでしたのでガッカリしましたが、そよ風が気持良い誘惑の山から、世界最古の町エリコを目に焼き付けました。

駅付近のお土産屋に入ると、岩をくりぬいたむき出しの洞窟の店内だったので、何だかちょっとした誘惑の山テーマパークっぽくって楽しくなりました。
そしてまたワイワイおしゃべりしながら下界へ戻ってきました。
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さてさて、次に向かった先は死海写本が発見された場所・クムラン(Qumran)です。
死海写本は20世紀最大の考古学の発見と言われています。最初に出土した七つの写本は、現在イスラエル博物館内の「死海写本館Shrine of the Book」で見ることができます。
最初の発見を機に、クムラン周辺の数ある洞窟の調査が行われ、合計11箇所の洞窟から972の写本が発見され、エステル記を除くすべての旧約聖書写本が発見されました。下の写真は死海写本のレプリカの一部です。
死海写本コピーa

死海写本の多くは羊皮紙ですが、一部パピルスもありました。写本を製作した年代は紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられています。死海文書を写本したグループはエッセネ派とする意見が主流で、最初に発見された洞窟付近はエッセネ派の共同生活の遺跡があります。

最初の発見に関しては、ベドウィンの子供たちが「羊を追いかけていて、洞窟の中に石を投げ入れたところ、何かが割れる音がしたので入ってみた」などさまざまな逸話が語られていますが、どこまでが真実かは、もはやわからないということです。
下の写真・上段は死海写本が見つかった第1洞窟、写本が入っていた壷。中段はエッセネ派の遺跡。下段は遺跡の向こうに死海が見えます。
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これで4日目の予定が終わって、死海・エンボケク(En Boqeq)にあるDavid Dead Sea Resortに夕方チェックインしました。
死海が見える部屋で清潔なベッドで、夕食もおいしくて、旅行は楽しく、本当に全てが恵まれ、全てが感謝です。
1596f2死海En Boqeqa 1596f3死海En Boqeqa
1596f4死海Hotel Davida 1596f6死海Hotel Davida
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次回(6/8)は「死海浮遊体験」、「マサダ」、「ベイト・グブリム洞窟群」等を予定しています。

(Mi)


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2016.05.31 08:39 | イスラエル聖地旅行
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