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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

        zim ok

今日は、‘I’m OK’(私は私で良い)ということについて考えてみました。

豊かな人生を送るうえで大切なことは、人を愛し、受け入れ、赦すということにおいて積極的であることです。そのためには、自分が自分を愛し、受け入れ、赦すことができていなければなりません。

私たちは誰でも、程度と割合の差こそあれ、光と影、長所と短所、得意と不得意な面を持っています。しかし、神はそういう私たちを丸ごと愛し、赦し、受け入れていて下さるのです。ですから、私たちも安心して、そのような自分自身を受け入れれば良いのです。

以前に、ある身体障害者の方が、ご自分について、「これは障害ではなく、私の特長なのです」と言われたことがありますが、とても素晴らしい自己認識だと感動したことがあります。私たちは生まれてからずっと、この世の価値基準をもとに「良い」「悪い」「OK」「OKでない」ということを言われ続けてきて、「良い」と言われた自分には自信を持ち、「悪い」と言われた自分には劣等感を持つようになりました。また、「良い」と言われた自分は好きでも、「悪い」と言われた自分は嫌いなのです。

しかし、自分で嫌いな自分の性格や能力や容貌なども、実は自分自身であり、それは自分の特長なのだと見方を変えてみれば、また違う世界が広がるかも知れません。長所も短所も、得意も不得意も、そのすべてが世界でただ一人の自分という尊い存在の一面であり、短所や不得意と思われていた面も、実は、使い方次第では素晴らしい自分を表す性質として無くてはならないものなのです。またそれとは反対に、長所や得意と思われていた面も、その人の心次第では、傲慢で利己的なものを生み出す結果になる場合もあるのです。

そう考えれば、長所には短所、強さには弱さ、美しさには醜さが潜んでいるという現実がありそうです。その事を理解できれば、人の違う側面をも知ることができ、人としての円熟さが与えられるのではないでしょうか。

私たちには、まず‘I’m OK’(私は私で良い)と言うことができる必要があります。それを心の底から自然に受け取れるようになると、コップに注いだ水がいっぱいになって自然に外に溢れてくるように、他の人に対しても優しい心で、愛し、受け入れることができるようになるものです。 

この‘I’m OK’(私は私で良い)が出来ていない人は、どんなに自分を打ち叩いても努力しても、人を愛せませんし、人に優しくなれません。確かに、見せかけの愛や優しさを示せても、すぐにメッキが剥げてしまいます。

自分の愛や優しさが見せ掛けやメッキであることに気づく簡単な方法があります。それは、あなたが他の人のために何かをしてあげて、相手から感謝をされないとき、そのことで腹を立てているならば、あなたの愛や優しさは残念ながらメッキであったということです。

今日の一言: I’m OK(私は私で良い)と言えるようになろう


鶴田健次

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2016.02.19 08:50 | 鶴田健次牧師より
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