
皆さんこんにちは。
私は美夏と申します。
今日は、皆さんにマウントハーモン、ユースキャンプのお証をさせていただこうと思います。
マウントハーモンでの経験は、とても恵まれたもので、豊かに祝福されたものになりました。毎年、キャンプに参加するたびに、神様が私の心に何かを語られるのですが、今年は賛美を捧げる事を通して語られました。
キャンプに行く以前の私は、何度も何度も繰り返し歌われる賛美に正直うんざりしていました。しかし、今は私が知っている同じ曲が流れても、主のために心を注ぎ、主により満たされた心によって、賛美を捧げる事を神が私の心に示されたので、賛美が大好きになりました。

今ではその経験を心に留めながら、主にある喜びを持ち、どんな時も賛美を捧げます。
冒頭でも触れたように、今年はとても素晴らしい経験でした。そんな今年のテーマは、「ありのままに」でした。意味は、"私たちがかぶっている仮面を外し、本来の自分を主に見せよう。"と、いうものでした。
また、聖書箇所は詩篇145:18「すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に主は近いのです。」からでした。
どんな場所にいても神はあなたと共におられるのですが、神様からの答えを頂くには、神様に心を注ぎ、呼び求めなければならない、これがこの箇所の意味です。
この様なメッセージを友人たちと分かち合い、主を賛美しました。友人たちとの再会は、会えなかった空白の1年をあっという間に埋めてしまうほどの楽しい時間でした。
しかし、今年は皆さんもご存知の通り、私たち家族は東海岸に行かねばなりませんでした。私は行きたくありませんでした。案の定、私の心配は的中し、私の乗り継ぎのある飛行機便は遅れました。それでも、最後は泣いては終わりませんでした。
私は、たくさん泣きました。私の頭の中は混乱し、泣きながら、"神様はなんでこんな事が起こる事をお許しになったの?もしかしたら私のもとからいなくなって、もうあなたなんかどうでもいいよと思ってるのかな?マウントハーモンは神様を捧げる場所なのに、どうしてそんな場所でこんな事が起こるの??"と、更に落ち込みパニックになりました。私はこの時、世界の終わりの様な顔をしていたと思います。
キャンプで神様は私に教えてくださいました。
神様は不変であり、私が行くどんな所にも私が神に呼び求める限り、黄泉の国であっても私の声を聞いてくださる。例えそれがどんなに真っ暗闇な一瞬一瞬であっても、どんなに解決口の見えない問題が立ちはだかっても、神は私たちを見捨てず、共におられることを決して忘れてはならないのです。
詩篇27-1:3
27:1主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命のとりでだ。
わたしはだれをおじ恐れよう。
27:2わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。
27:3たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。
神様は共におられる、例えどんな時でも。神はあなたの元を去ることはないですし、見捨てることもない。難しいことですが、もし神様が私に試練を与えたのならば、それは私はその試練を乗り越えられるという事なのです。
神がドアを閉めれば、また新しいドアが開かれます。試練は私を馬鹿にする為のものではありません。そればかりか、試練によって神の愛を知り、昨日の私よりも強い私をお作りになってくださっているだけなのです。
私がこれを知っている理由は、神はどんな時も私を愛してくださっている事を学んだからです。私をどんな時も愛し、それを止めない初めてのお方は、神様でした。
マウントハーモンは、この様な素晴らしいキャンプです。私にとって、マウントハーモンは私の世界観そのものです。更に神様へ近づける経験かできます。
マウントハーモンは、キリストの名で繋がった兄弟姉妹です。マウントハーモンは、唯一 私が周りを気にせず、目を閉じ 手を上げ礼拝できる場所です。それは、神様は私たちの礼拝する姿勢を見られる事を知っているからです。

マウントハーモンに毎年参加する事は私の目標です。その後は、キャビンリーダーになり、クリスチャンとして相応しい模範を示します。皆さんのお祈りとサポートを心から感謝します。
(LVJCC Youth Ministry: Mika)
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