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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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クリスチャンになって以来ここ数年、私は、一つの葛藤が解決されると息継ぎも無しにまた次の問題にぶち当たる事が当たり前になってきました。

何もない時は平安。。。と言うよりも、恥ずかしながら、むしろ霊性が下がり、聖書も読まない、祈りもろくにしない"神様への後ろめたいさ"と戦う自分に変身します。

私が最近、姉妹や兄弟が何らかのトラブルで助けが必要となっている時に出くわすタイミングは、私がいつも忙しい時など、この時にこのベストでないタイミング。。。という時だったりしました。

私はどちらかというと、今まで兄弟姉妹を助けるというよりは、助けられたりする方が多かったのですが、なぜか最近はこの"助け"を求められることが多々ありました。

その時に、何らかの事情により私の助けが日の目を見ない事が続きました。いつもはこんな事ではあまり気にしないのですが、この時は同じような事が数回続いた上に、そして私の家族にもそれをするために無理をさせてしまっていたので、心を痛めました。そしてふと疑問に思ったのです。

私は何のためにこれをしてるのか?
私のした事は無駄だったのか?

と、考え始めた時に、そう考え始めてしまう私は、何を軸に助けを行っているのか?疑問に思いました。

祈りの中でも答えが出ぬまま、その夜の祈祷会サービスに参加しました。ヨハネ福音書からのイエスさまが十字架につかれる箇所のメッセージでした。

礼拝中ふと、答えが出、今まで頭の中でぐるぐる回っていた考えの全てが逆になりました。"私が助けようとした兄弟姉妹は、実はイエスさまだった。。。"という事に気付きました。

イエスさまは私がベストなコンディションで、ベストなタイミングの時だけの人助けは望んでおられなかったのです。世の中の最悪を全て経験されたイエスさまは、それでも十字架につかれ、私たちの救いが完成される道をお選びになったのですから。それは愛そのものです。

イエスさまは常に私の限界のドアをノックされ、私(イエスさま)の証人として用いることができるが、自分の思いを超えて従うことを選ぶか?それとも文句を選ぶか?と、いう信仰の軸を試され、信仰により地境を広げていただける選択を私に与えてくださっていたのです。

今更ながらですが、神様が関わるところには常に何かしらハプニングがあります。それは、サタンの邪魔があるからです。もちろん予定を組み、それの通りにできる事があるのであればそれに越した事はありませんが、神様はそのベストでない状態をも用いて私の自ずの神への信仰を深め、お互いに愛し合う事がより神様のみわざが輝く方法だという事を教えてくださっている恵みを知り、今日も満たされました。苦しいときこそ神に従うべし!必ず答えをくださる神様に感謝です。ハレルヤ!


「そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。 」ヨハネ福音書19:28

(LVJCCブログ制作チーム: Sao)

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2015.08.19 23:10 | 証し
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