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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

姿勢

今日は、”人間の基本姿勢”について考えてみました。

人は誰でも生きていくために、その土台となる基本姿勢を持っています。この基本姿勢によって、その人の行動パターンや思考パターン、また感情パターンが違い、その人らしさが表わされるものです。ですから、自分を知り、他者を知り、病んだ人の心を理解してあげるためにも、この基本的な心のメカニズムを知っておくことは大変重要です。

交流分析の創始者エリック・バーンは、自己や他者に対する基本姿勢を次の四つに分類しました。

① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)
② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)

③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)

④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)


誰でも幼少時代にこの中の基本姿勢のどれかを身につけ、それからはその基本姿勢に大きく左右されながら生きていくことになります。

① 私もOK、あなたもOK(自己肯定、他者肯定)
この基本姿勢は、自分と他人の双方の存在価値を自然に承認できる最も望ましい姿勢です。両親に本当の意味で十分に愛されて育つと、この基本姿勢が身につきます。「お父さんとお母さんが愛してくれる僕はきっと素晴らしい人間なんだ。そして、お父さんもお母さんも素晴らしい人なんだ。きっとすべての人が素晴らしい人間なんだ」と、無意識に直感するのです。これを「基本的信頼感」と呼びますが、人間が健全に生きる上で最も大切な条件になります。ですから、この基本姿勢を持っている人の人生は豊かさと幸せがついてきます。

② 私はOKだが、あなたはOKではない(自己肯定、他者否定)
聖書が言う罪に対して、多くの人が連想することは、わがまま、自己中心だと思います。つまり自分を肯定して、他人を否定する姿勢です。この自己肯定、他者否定の基本姿勢を持った人は、基本的に自分に甘く、人に厳しい傾向があり、人をよく批判します。人が自分の期待に応えないと、その人を非難します。また、人の話を聞くよりも自分のことばかり話したがります。それも自慢話が多いです。また、よく人に忠告をしたがり、教える態度を取ろうとします。

しかし、注意深く考えてみれば、「私はOKだが、あなたはOKではない」という姿勢は、本当はあり得ないのです。人は自分をOKだと思える分だけ、人をOKだと思えるものだからです。ということは、人を受け入れられず、人を批判しないではいられない傾向の人は、自分を本当にOKだとは思っていない人なのです。

③ 私はOKではないが、あなたはOK(自己否定、他者肯定)
この姿勢で生きている人は、厳しく育てられた、いじめにあった、そういう背景を持った人が多いようです。小さい頃の親や先生が厳しいということは、「まだまだ、そんなことじゃダメだ。もっと頑張れ」と言われて育つということです。テストで80点を取っても、「百点を取らなきゃダメだ」と言われたりして高い水準を求められると、それに達していない自分が責められ、やがて自分で自分を責めるようになります。だからいつも「私はダメだ」と感じるのです。うつ病などの精神疾患にかかる人には、圧倒的にこのタイプが多いようです。

④ 私もあなたもOKではない(自己否定、他者否定)
この心の基本姿勢は、この世の中に良いものは一つもないという、人生に対する最も否定的な姿勢です。幼児期に愛されたという記憶が全くない人や、捨てられたり置き去りにされた子供は、この基本姿勢を身につけやすいようです。また、そこまで否定的に扱われなかった子供でも、成長段階で否定的な働きかけを強く受けると、②か③の姿勢からこの姿勢に進んでしまうこともあるようです。このタイプの基本姿勢の人は自分もOKではないので、自分を愛することができません。ですから、一人でいると寂しくて耐えられないので人と付き合いたくなります。ところが「人はきっと私を傷つける」と信じているので、親しくならないうちに自分のほうから無意識的に関係が壊れるようにしていくのです。

結論:
以上、人生に対する四つの基本姿勢を考えましたが、①を除けば、他の三つはいずれも心が病んでいる状態だとも言えます。しかも、①の姿勢を完全に自分の基本姿勢として持っている人はいないのです。つまり、人は誰でも心が病んでいるということです。

ですから、私たちのそばに「心の病」を持つ人がいるときに、間違っても、「私は正常で、この人は異常だから、この人を助けてあげなければ」と考えるべきではないのです。私たちに出来ることは、その人との出会いを通して、自分の心のゆがみに気付き、自分も同じゆがみを持つ仲間として、互いに交わり、互いに成長していくことです。

人が心の病から解放されるためには、心の自立が不可欠な要素になります。最初は人の助けが必要ですが、少しずつその助けの手から離れていかなければなりません。どんなに辛くても、その分離の痛みを通らなければ、決して自立することはできないのです。

では、一体どうしたらいいのでしょう。自立とは親離れをし、自分が自分の親になることです。しかし本当の自立は、いつまでも変わらない愛で、どんな時にも共にいて下さる神を親として生きることです。そこで私たちは、人生のどこかで、この本当の意味での「親換え」をし、一生涯、頼り続けることのできる神を真の親として生きることが必要なのです。


今日の一言: 本当の自立のために、神を親として生きよう


鶴田健次

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2015.07.10 09:56 | 鶴田健次牧師より
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