LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

Religious--Everlasting-Life--28847.jpg
今回は先週のグレッグ兄の証しの続きをお送りします。どうぞお楽しみください。

13歳の時、母が交通事故に遭い、肋骨を折る大けがをし、車が廃車となりました。幸いにも私は大丈夫でしたが、家族の交通手段がなくなったその時も、兄達は何も助けてくれませんでした。

止むを得ず私は父がガレージに残した一冊の本を読みながら、廃車になったエンジンを改造し、父が残したもう一台の壊れた車のエンジンと取り替え、新たに交通手段を確保することができました。13歳の若さで、他者に迷惑をかけないように、シングルマザーの母と自分が生き延びるために、このように独学でいろいろなことを学びました。

歳を重ねるにごとに、友達がいない自分が嫌になりました。そんな時に、マリファナを吸わないかと誘ってくる近所の友達と関わり始めるようになって、やがてマリファナを吸い、お酒に酔って遊び明かすようになりました。そうするにつれて、いろんな友達ができるようなり、高校でも人気が出てきました。その高校ではほとんどの生徒が薬や遊びにはまっていました。
そんな中でも私は良い成績を保ち、夕方には知能の高い生徒のために用意されたクラスの単位を取り、皆よりも一年早く卒業しました。

我が家では18歳になり家を出るまでは車を買うことを許されなかったのですが、15歳の時に、車と保険は絶対に自分で支払うことを条件に、母に車を買うことを許可してくれるよう強く頼みました。車を買うために私は夜中の0時から朝8時まで週6日、ガソリンスタンドで働き始めました。そして約束通りお金を貯めて、母にできるだけ負担がかからないように自分の名義で車と保険を入手しました。

2歳上の兄は、こんな私を見てとても嫉妬し、言葉の暴力で脅すようになりました。彼は血管を腫れ上げるほど興奮して「お前なんか負け犬だ!薬にはまって学校なんて卒業できるわけがない!一生ろくでなしで終わるんだ!」とよく罵倒しました。こんな侮辱と批判を絶えず兄から聞かされ、やがて、これらの嘘を自分でも信じるようになりました。そして、彼から聞かされる自分のセルフイメージの通り、生きて行くようになりました。

高校を卒業する頃には、私は鬱になり自殺を考えるようになりました。今まで受けた攻撃と、連んでいる学校の仲間から影響を受け、精神的に非常に不安定で、真剣に自殺を考え始めていました。自己嫌悪に陥り、どう死ぬかばかりを思い、それが私を支配するようになりました。16歳の時には、兄から逃れるために家出をしました。ですが心配になった母は、兄の状態が良くなったからもう大丈夫、家に戻ってくるようにと私にすがるので、私は家に戻りました。しかしそれもつかの間、兄を信頼できるかなと思ったとたん、また虐待が始まりました。後でわかったことですが、この時一緒に暮らしたルームメールは、後に殺人の罪で刑務所に入ったと聞きました。

18歳になって、私は兄から逃れる目的で、ニューメキシコを後にしました。カリフォルニアに引っ越したネイテェイブ・アメリカンの友達のところに向かう途中、ラスベガスに住む姉のところに立ち寄りました。姉は、ラスベガスに留まるよう言ってくれました。

この頃には、薬や遊びも止め、だいぶ落ち着きましたが、自己嫌悪、鬱、自殺願望は消えませんでした。頑固な私はこの時も救い主を心に迎え入れるのを拒み、哲学や他の宗教などから真理を求めていました。ヒンズー教、仏教、バラ十字会員、バハーイ教などを学び、またその頃流行っていた、デールカーネギーや、心理サイバネティックスなどのモチベーションを高める演説者、また自己啓発のありとあらゆる本も読みました。さらに、新興宗教・サイエントロジーにもはまり、彼らの教本であるダイアネティックスも全て読みました。 しかし、これらは全て一時的な気休めで、結局喜びや平安を保つことはできませんでした。

ある日、義兄と一緒にテレビを見ていると、いわゆる世の成功を手にした男性が、この世の富も自家用ジェットも名声も女性も、欲しいものは簡単に手に入れ、専属医から薬物もすぐに処方してもらえると豪語しているところを見ました。私は「誰だこの人は!自分もこうなってみたい!」と思いました。しかし彼は、そんな人生がどんなに虚しく惨めで、どんなに強い薬でもそこから解放されることはなく、過量の薬物を摂取して死んだとしても、専属医が、自分を生き返らせるのではないかと悲しく語りました。 

続いて彼は、彼の奥さんがクリスチャンになり、彼女が彼の為に祈り始め、彼女の信仰の証から、自分もイエス様を信じる信仰が与えられたことを話しました。イエス様に出会ってから体験することができた喜び、平安や愛は、この世の富や名声とは全く比べ物のならないと語っていたのです。私はこの時初めて、若い有名な成功者が恥もなく大胆にイエス様を受け入れる信仰を告白するのを耳にしました。彼の証が私の心の殻を少しずつ割り、かたくなな心が神様に向くようになりました。

それから数週間後、あらゆる宗教から何かを求めていた私に、また鬱と自殺願望が今までにも増して襲ってきました。この時は自殺を考えるだけでなく、ただ死ぬしかないと思いました。部屋に入り、ベットに横たわり、遺書に何を書こうか考え始めました。ちょうどその時、目覚まし時計のラジオから、突然イエス様の福音を語っている牧師の声が流れ始めました。牧師は、イエス様が神の御子であり、私を愛しておられ、私に代わって罪の代価を支払うために十字架で死んでくださったこと、そしてそれをただ信じて自分を神に捧げるなら、永遠の命が与えられることを語りました。

私は、過去に何度も聞いたことのあるこの福音が大嫌いで逃げ廻っていました。私は起き上がってベットの脇に座り、真剣に自分の今までの人生を振り返り、あらゆる宗教と哲学を試したけれど、一つだけまだ拒んでいるものがあることを思いました。それは、イエス様に人生を捧げることでした。

この時、神によって心が砕かれ、自分にこう問いかけました。「なぜこの福音を拒むのか?どうしてそんなに気に障るのか?なぜ恐れるのか?これが真実だからか?もし真実でなければ、どうしてそんなものを恐れるのか?」

私は論理的にこう考えました。「今まであらゆることは試したし、人から挑まれたことはほとんどやってきた。もし福音が嘘であれば、自分の人生をイエスに捧げたとしても何も起こらなはずだ。そうしたら、計画通り、死を実行すればいいだけだ。何も失うものはない。ただ福音が嘘であったと証明するだけだ」。

ほんのわずかな信仰をもって(神を信じる信仰でさえも神から与えられる賜物ですが)、この福音を信じることにしました。そしてラジオで流れていた牧師の祈りを心を込めて祈りました。

私は降参し、白旗を上げてこう言いました。「神よ、福音の全てはわからないけど、もしあなたが言うように、神であるあなたが人間になられ、本当に私を愛し、私のために死んでくださり、私のすべてがほしいなら、ここにあります。ゴミのような人生だけど、どうぞあなたに捧げます」。

このあと起こったことは、なんとも言葉で表現できない出来事でした。私はその時生まれて初めて、真実の愛、平安、赦しと喜びに満たされる体験をしました。恐れや鬱は無くなり、もしその瞬間に命を奪われても、ありのままの自分を受け入れ愛してくださる神によって、救われているという確信が与えられました。この時初めて私は、今まで拒絶し続けていた聖書が言う「新生」を体験したのです。

その夜、私は、神から夢を見せられ、神が、私が12歳の時、最初に私を救おうとされたときのことを見せてくれました。もしその時に、神がこんなに素晴らしいお方で救われることの喜びを知っていれば、即座にイエス様を心に迎え入れたのにと、ただただ思うばかりでした。そして、悲しみ、絶望、壊れた夢に満ちた長い辛い年月を避けることができたのに、と。

だから私は今日ここにいる皆さんにこう言いたいのです。「もうこれ以上待ってはいけない」と。イエス様の御名によって、共におられる神を信じて欲しいと切に願っています。神はあなたを救うため、そして永遠の命を与えるために人となってこの世に来られたのです。イエス様を信じてください。イエス様がこの世に来てくださった目的はたった一つです。それは、あなたの罪のために死ぬ為です。さらには、ご自身が実に神の御子であられ、私たちを救う権限と力を持っておられることを証明するために、死んだ後よみがえられたのです。

もし過去の私と同じように、他の宗教から救いを求めておられる方がいらっしゃるのであれば、この機会に、ぜひ今一度、とことん調べて、イエスキリストがあなたのためにしてくださったこと、ご自身でお語りになられたこと、また彼について証言している多くの人の語ることと比べてみてください。

この地上のみならず天においても、すべての権限が、イエスキリストに与えられているのです。イエス様は、永遠に生きておられ、天地が造られる前からおられる方なのです。他にどの宗教指導者がこのような宣言をしているでしょうか。罪のないお方が、私の罪のため、あなたの罪のために十字架について死なれ、神であられることを証明するために死さえもを克服し、よみがえられたのです。こんなことをした人が過去にいらっしゃるでしょうか。イエスキリストの他には、いないのです。

イエス様はご自身についてこう語られました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14.6)

聖書には、「さあ、われわれは互に論じよう。イザヤ書1:18」と書かれています。私のように、自己中心で、高ぶり、頑固で、いつまでもイエス様を拒むようなことはしないでください。

神はまたこう言われます。「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。イザヤ書1:18」

私には罪はないと思っておられる方には、聖書はこう言ってます。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、、、」人は大きな犯罪を犯すことによって、天国の切符を失うのではないのです。私たちが生きる中で犯す最も小さな罪でも、罪に変わりはなく、神の目には、犯罪を犯した罪となんら変わらないのです。私たちは、よく罪を犯さないよう、良い行いをするよう必死に努力します。しかし、決して行いによって私たちは、天国の切符を手にすることができないのです。すべての人が罪を犯し、神の栄誉を受けることができないと宣言される創造主に向かって、どうして被造物である私たちが、反論することなどできるでしょうか。

もし私たちが、聖霊によって示される人間の罪の性質を認めないなら、私たちは救い主など必要ないという嘘を信じることになるのです。神への抵抗をやめて罪を認め悔い改めるならば、神は御子イエスキリストによって、完全な魂の癒しをあなたに用意しておられるのです。もしあなたがまだ人生最大の決断をしていないのなら、あなたが聖霊の導きによって、今その決断の必要性に迫られるよう祈ります。

もしそれがあなたなら、今から祈る祈りに心を合わせて一緒に祈りましょう。すでにイエス様を心に迎え入れたここにいる皆さんも一緒にどうぞ。

「父よ、私はあなたに罪を犯したことを認めます。神の一人子御子イエスが、私に代わって十字架で死んでくださったことにより、私が受けるべき罪の代償を完全に支払ってくださったことを私は信じます。父よ、これらを信じることによって、私は新しく造り変えらたことを信じます。主よ、私をお救いくださり、神の家族として迎え入れてくださったこと、そして永遠の命を与えてくださることを感謝します。イエス様の御名によって、アーメン」

LVJCC英語部グレッグ兄の証より

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。



2015.06.01 13:32 | 信仰者シリーズ
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.