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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”キリストの受難”について考えてみました。

今日はGood Friday(聖金曜日)です。全人類の罪を一身に背負われた神の子キリストが十字架に架けられた日です。イエス・キリストの十字架の死は、人類最大の事件です。この事件により、イエス・キリストを信じるすべての人が救われ、永遠の命の恵みにあずかる道が開かれたのです。

さて、イエス・キリストは、あの十字架の上で七つの言葉をお語りになりましたが、その中の一つが、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という言葉でした。

この言葉は、キリストの十字架の意味を知るうえで非常に重要なものですが、この言葉ほど、聖書をよく知らない人々の間で、誤解され、間違って理解されているものはありません。事実、ある人々は、この悲痛な言葉が象徴するように、キリストの死は敗北ではないかと言います。

いいえ、そうではありません。聖書を調べていくならば、キリストがこの言葉を十字架上で叫ばれたことの背後には、深い意図があったことが明らかです。この言葉には、キリストの十字架の死の意味、つまり、キリストの死が単なる偉人聖人の殉教死ではなく、私たちの罪の贖いのための死であったことを知る重要な鍵があるのです。

確かにキリストの死は、いわゆる偉人聖人の殉教死とは違っていました。たとえば初代教会の時代に、キリストの弟子であったステパノは、迫害する者たちに石で殺されようとしているその時にも、聖霊に満たされて、その顔は喜びに輝いていました。そして迫害する者たちが石を投げている間、彼は祈り続け、最後に、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と言いました。

また長崎で、26人のキリシタンが十字架刑によって処刑された有名な26聖人殉教の事件のときも、その光景には驚くべきものがありました。その26人を幕府はキリシタンへの見せしめとしたのですが、彼らは救われた者としての平安と、天国への輝かしい希望と、殉教者とされた光栄に、むしろ喜んで死に就いていったのです。

そうした彼らの最期を、竹矢来(竹で作った垣)の外で見ていた群衆は、強く心を動かされ、竹矢来を壊して、役人の制止も聞かずに処刑場になだれ込み、殉教者の血潮を自分の着物に染み込ませ、あるいは血のついた十字架を削り取り、あるいは殉教者の衣を切り取り、あるいは血潮に染まった土を持ち帰ったと伝えられます。そして、これらの殉教者の最期を見た人々のほとんどがキリシタンになった、ということです。

このように、キリストの弟子であるクリスチャンたちが殉教して死んでいったとき、彼らは、希望と、平安と、喜びさえ持って、死に就いていきました。しかし、そうであれば尚更のこと、彼らが主と仰ぐイエス・キリストが死を前にして、あのように悲痛な言葉を叫ばねばならなかったのは、なぜでしょうか?

それはキリストの死が、単なる偉人聖人の殉教死ではなかったからです。殉教したクリスチャンたちの場合、死は、天国に行くことであり、神のみもとに行くことでした。しかし、キリストの十字架の死は、そうした死とはまったく異なっており、それは神から無限に引き離されることであり、神から完全に見捨てられることだったのです。
 
キリストの十字架の死は、『すべての人々の罪を背負い、人々の身代わりとなって死ぬ』という意味を持っていました。キリストは、「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、私たちの罪をご自分の身に負われた」(1ペテロ2:24)のです。

こうして私たちの罪をその身に負われたキリストは、その死の際に、私たちの代わりに神に捨てられたのです。ですから、キリストにとって死は、天国に行くことでも、神のもとに行くことでもありませんでした。それは私たちの代わりに、罪人として神から捨てられることであり、神の愛と恵みを断ち切られることだったのです。

しかし救いの道は、そのようなキリストの激しい痛みと、悲しみを通して開かれたのです。

今日の一言: 私の代わりに神の子が十字架に就いてくださった


鶴田健次

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2015.04.03 06:37 | 鶴田健次牧師より
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