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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ウィリアム・メレル・ヴォーリズはアメリカ・カンザス州の小さな町レブンワースで1880年に生まれ、コロラド州デンバーに移り、コロラド大学で建築学を学びました。しかし外国伝道を行っていたキリスト教宣教師、Mrs.ハワード・テイラーの講演に感銘を受けた彼は、長年思い詰めていた建築家となる夢を放棄してまで、外国伝道にその身を捧げる決意をします。

ヴォーリズは1905年(明治38年)遠く海を渡り、日本の地に降り立ちました。目的は滋賀県八幡商業学校の英語教師として赴任することでしたが、ヴォーリズが一番熱心に思っていたことは、日本での宣教活動でした。そして2年後にはキリスト教伝道活動を理由に教師を解任されてしまいます。生活の基盤を失ったヴォーリズでしたが、京都YMCA内に建築事務所を開設して建築家としての事業を始めます。また、多くの支援者に支えられて近江八幡で伝道活動を続けていくのですが、、そこにも神の御手があり、彼の活動は支えされ発展していくのです。

アメリカ学生時代に参加した宣教大会で彼と同じく海外伝道を志したベーツ青年が、同じ1905年に関西学院に来ていたのです。彼の支援で関西学院のキャンパス設計の依頼を受けました。ベーツはその後、関西学院の第4代院長となります。京都では同志社大学からの依頼を受けました。その後は、数々の建築を手がけています、

また、もう一つ大きな支援者は米国メンソレータムの創業者アルバート・ハイド氏。ヴォーリズは日本国内でのメンソレータム販売権を得て、好調な販売を始め、更には製造のノウハウを得てメンソレータムの製造も始めました。この事業によって「近江セールズ」が創立され「株式会社近江兄弟社」へと発展しました。ほかにも図書館の運営、出版など多くの文化事業を行い、建築においては住宅から学校、教会、デパートメントやホテル、オフィスまで幅広く手がけ、その数は戦前だけで1500件を数えました。

これら事業のすべては収益を目的としたものではなく、「様々な職業を通じて、人間生活の基準となるような、キリスト的生活を徹底的に実践すること 」を目指した、彼の伝道そのものでした。

ヴォーリズは、1919(大正8)年、3クリスチャン女性・一柳満喜子女史と結婚しました。満喜子さんはアメリカ留学を経験した方で、ヴォーリズとは仕事を通して知り合い、自身の建築した明治学院のチャペルで結婚をしています。後に満喜子さんは、キリスト教の理念に基づき、幼稚園、女学校を開設し、教育者としても活躍し、戦後は、小・中・高校と共に統合された近江兄弟社学園に発展した学園長を務めました。

日本の地に渡ってから36年後の1941年、ヴォーリズは日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名します。1964(昭和39)年、ヴォーリズは、24歳で初めて足を踏み入れた近江八幡の地で、83歳の生涯を全うしました。日本人の救いの為に、日本に渡ったヴォーリズでしたが、神は建築家としての成功のみならず、大きな功績を日本の地に彼の人生の上に残されました。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 わたしに出会うであろう。」エレミヤ書29:11-14


(ブログ制作チーム:KAO)

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2015.03.02 15:45 | 信仰者シリーズ
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