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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

Jesuss Birth
日本人の私たちは聖書に関して、また、十字架の福音について聞く機会は大変まれだと思います。ですから、クリスマスがイエス・キリストの誕生をお祝いする時である事も知らないかもしれません。ましてや、イエス様の誕生が『私』の為だったと知る機会も少ないと思います。しかし、イエス・キリストが誕生し、十字架で死なれ、3日目に蘇ったのは『私』の為だったのです。

今日は十字架の福音を著書『賛美の力』からお届けします。どうぞ、聖書の御言葉を信じて、イエス様を受け入れ、救いを受けとってください。

私は教会へ行っている人々に、人は天国に入る為に何をしなければならないかとたずねるのです。この質問を、私はこの国の最も正統的な、聖書を信じている教会でしたことがあります。そしてくり返し同じ答えを聞かされました。99%の人々が、しなければならないことについて語りました。いましめを守る、教会へ行く、献金をする、人に不親切にしてはいけないなど、彼らが行おうとしておることが次々と限りなく列挙されました。

教会に行っている人々は、救いは私たちの行いによって得られる、というまちがいを聞いて信じてきたのです。今日まで福音が遅々として広まらなかったのも不思議ではありません。教会に来て『10セント』をもらい、そのことを世の人に知らせるために出かけていこうとする人などいるでしょうか。神があなたに差し出されたのが、ただの『10セント』の贈り物であるとまだ信じておられますか?神の祝福を受ける為に、信仰プラス何かが必要だとまだ考えておられますか。

『そこでもし、神の祝福は善良な人々に与えられる、となおも主張するのであれば、あなたは、信仰を持っている人々への神の約束は無意味なものであり、信仰は愚かなことである、と言っていることになるのです。ローマ4:14』

パウロは書いています。
『しかし事実はこうです。すなわち、私たちが神の律法を守ることによって神の祝福と救いを得ようと努めても、結局私たちは常に神の怒りのもとにあるのです。なぜなら、私たちは常に神の律法を守ることで失敗するからです。ローマ4;15』

これは、私たちが善良であろうと努め、神の律法を守ろうと努めることに対して神の怒りを招いているという意味なのでしょうか。そうではありません。神がお怒りになるのは、私たちが神の律法を守ろうとするその理由が何でるかをご存知だからです。神の罰を恐れて律法を守ろうとするならば、私たちのその努力は無意味です。神の祝福にあずかるにふさわしい者となるために律法を守ろうとするならば、その努力は無駄です。とすれば、私たちが善行をなそうと努める理由などないのではないでしょうか。救いは無償、無代価なのですから、私たちはいくら邪悪な人間であってもよいのではありませんか。

むろん、このように考えるのはばかげています。私たちは善を行う必要があります。しかし、それはただ、神を愛し、神を喜ばせるためなのです。神からの驚くべき贈り物が何であるかを、十分理解するとき、私たちは神を愛することによって神の愛にこたえたいという願いをもちます。もし、あなたが神の恵みを受けるために善を行おうとする、そうした考えに固執するなら、あなたは神を愛するようには決してなれないでしょう。

『今や神は天国へ行く別の道を私たちに示されました。善良であること、神の律法を守ろうと努めることによってではなく、新しい方法によって、天国へ行く道を示されたのです。今や神は、私たちが、自分の罪を取り去るためにイエス・キリストを信頼するなら、私たちを受け入れ、罪なしと宣言しようと言われるのです。私たちが何者であれ、今までどのような人間であったにしても、皆この同じ方法で、キリストのもとに来ることによって救われるのです。ローマ3:21-22』

条件は『もし私たちがイエス・キリストを信頼するならば』ということです。自分は善良であるとか、あるいはそれほど悪い人間ではないとかいうことで、自分自身に信頼をおくことはまさにその正反対です。

イエスが私たちのためになしてくださったことは何だったのでしょうか。
『神がイエス・キリストをつかわされたのは、私たちの罪のための刑罰をうけ、私たちに対する神の怒りを終わらせるためでした。神はご自身の怒りから私たちを救う手段としてキリストの血と私たちの信仰を用いられました。ローマ3:25』

この二つの点が大切なのです。片方だけでは意味をなさないでしょう。キリストは御業をなしてくださいました。しかしそのことは、私たちが信じることによってそれに応答しなければ、何の役にも立たないのです。もし、私たちが何かをしようとする行為だけに捕らわれているなら、決して信じることの自由はないでしょう。

『キリストは私たちの罪のために死に、私たちを神に対して義しいものとし、私たちを神の善良さで満たすためによみがえられました。ローマ4:25』

『罪がすべての人を支配し、死に至らせました。しかし今や神の恵みが代わってすべての人を支配し、私たちを神の前に正しいものとします。その結果は私たちの主イエス・キリストによる永遠のいのちなのです。ローマ5:21』


私たちの選択は、神の恵みか神の正しい審判かのどちらかを選ぶかというはっきりしたことなのです。私たちは永遠の命とう無償、無代価の贈り物を差し出されています。それ以外は明らかに死しかないのです。

神は愛です。神のなされるあらゆることが愛の現われなのです。私たちの難点は、愛がどういうものであるかについて、狭い考えしかもっていないことにあります。人間の愛、すなわち善良であれば報いがあり、受け入れられるが、こちらが悪ければ罰し、拒絶されるといったそういう愛によって、私たちはみな感情を害され、失望させれた経験を持っています。しかし神の愛はそんな愛とは全くちがったものなのです。

神の愛の無償、無代価の贈り物はキリスト・イエスにある永遠の命です。それは私たちの口と心と同じくらい私たちに近いのです。私たちはただ、イエスが私たちのためになしてくださったことを受け入れ、彼が今も生きておられることを心に信じ、そのことを人に告げるだけです。それは単純なことです。

『なぜなら、もし自分の口でイエス・キリストは私の主であると人に向かって言い、自分の心で、神がキリストを死人の中からよみがえらせたことを信じるなら、あなたは救われる。ローマ10:8-9』

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.12.15 14:06 | 信仰者シリーズ
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