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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

pray continually
今日はノートルダム清心学園理事長・渡辺和子先生の講和『絶えず祈りなさい』をお送りします。

マザー・テレサの通訳をさせて頂いておりました時に、マザーがおっしゃったお言葉の一つに「祈りを唱える人ではなくて祈る人、祈りの人になりなさい」というお言葉があり、私自身大変おしえられました。

私は修道院に入ってすぐにボストンの近くの修練院というシスターになる前の修業所へ派遣され約130人の修練女と生活をともにしました。修練院は修業をするところですから、毎日の生活は単純労働が主で初めは納得していましたが、月日が経つにつれ「なぜ」と考えるようになっていました。

ある暑い夏の昼下がり台所から洗いあがってきた百数十枚のお皿や食器類を百数十人の夕食のテーブルに並べておりました。すると修練長がいつのまにか後ろに来ており「あなたは何を考えながら仕事をしていますか?」とお尋ねになったのです。「別に何も考えておりません」と申し上げましたところ、修練長は厳しいお顔をなさいまして、「あなたは時間を無駄にしています」とおっしゃいました。私はなぜ言いつけられた仕事を言いつけられた通り手早くしているのに「あなたは時間を無駄にしています」と叱られなくてはいけないのか、怪訝におもってお顔を見上げたところ、修練長は今度は笑顔で「同じ食器を並べるなら一人一人のために祈りながら並べたらいかがですか」とおっしゃったのです。

私は修道院に三十歳の時に入り、それまで7年間ほど仕事の経験があったものですから、仕事とはすればいいものだと思っておりました。その日その時にはじめて仕事というものはただすればいいものではなく、心を込めて愛を込めてすることが大切だと教えていただきました。「機械的に仕事をしていては時間が無駄です。時間の使い方はそのまま人生の使い方になるのですよ」と修練長が教えてくださったのです。

この世の中に雑用という用はなく、用を雑にしたときに雑用が生まれることも教えて頂きました。私達の仕事には草取りもあり、割り当てられた場所の草をとっていたら、また修練長がいつの間にか来ておられ「あなた方の仕事を見ていると草をむしっているだけだ。草は根こそぎとらないとすぐに生えるのですよ」と言われ、私達が面倒な顔をしたのでしょう修練長は「いま世間に非行少年少女がたくさんいます。その中には改心したくてもできない、少年少女がたくさんいるのですよ。あなた方が「改心できますように」と祈りながら草を抜くと仕事に意味が出てきます」とおっしゃいました。

つまらないと思いながらお皿を並べても同じようにお皿は並びますし、同じように時間は経ちます。草むしりをしている時に「なぜ私がこんな仕事を」と考えながら草をむしっても、または非行少年少女の改心を祈りながら草むしりをしても同じ時間が経ち、同じように庭がきれいになります。

祈ったから、夕食にお座りになった方が幸せになったかはわかりません。祈って草を抜いたから少年少女が悪の道から抜けられたかもわかりません。わからなくていいと思うのです。何がわかったかといいますと、私が不機嫌で仏頂面でつまらないと思って過ごす時間が少なくなり、意味のある時間を使うことができたことです。時間の使い方は命の使い方だと教えていただきました。

マザー・テレサが来日された時、通訳をさせて頂きました。ある日、東京を早くお発ちになって、広島に向かわれ、原爆の地で平和の講演をなさった後、約1時間かけて新幹線で岡山まで戻られ、私達の教会で2回、1回は教会の中にいた人達に、もう1回は教会に入れず外にいた人達にお話をしてくださいました。岡山に着かれた時からマスコミや一般の人達が大勢、駅で待ちかまえてマザーのお姿を撮影しました。マザーはお疲れであろうし、お気の毒だと思うありさまでした。ところがマザーをお見かけしていると、向けられたカメラにいつも笑顔で、フラッシュがたかれてもお嫌がりにならないのです。74歳という年齢、慣れない土地、慣れない言葉、慣れない食事、疲れているに決まっているのに、マザーはシャッターがきられる度に、笑顔でいらしたのです。私は「マザーは愛想のいい方だ。もしかしたらカメラがお好きなのかしら」と思いながら、お側で通訳をしておりました。

すべては終わったのが、夜の九時頃だったと思います。マザーは修道女ですので、私どもの修道院にお泊めするため、お連れして歩いておりました。するとマザーは私に「シスター私はねフラッシュが一つたかれるたびに、いま亡くなろうとしている人が神様の御腕の抱き取られますよう、私が笑顔を見せることでお約束してあるのですよ」とおっしゃったのです。私が自分が修練院の時に習った、心を込めてお皿を置くこと、祈りを込めて草を抜くこと、マザーはそういう事を、時間を無駄にせず実行している方だとしみじみ思ったことがありました。

私が大学で教えていたときに、この話をしていたからでしょうか。一人の卒業生が手紙をくれました。自分の夫が鬱病になり、会社にも勤められない毎日で自分は何もしてあげられないけど、洗濯物にアイロンをかける時、夫の鬱病が少しでも良くなるよう祈りながらしています。と、手紙で話してくれました。

私達も誰かのために、何かのために、自分の小さな死を捧げる事ができる、そして、それは絶えず祈ることではないかと思います。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.11.23 07:59 | 信仰者シリーズ
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