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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”究極の自由”ということを考えてみました。

1520年に出版された、マルチン・ルターの代表作で、『キリスト者の自由』という小冊子があります。これは、福音の中心を簡潔に表現したもので、その冒頭において、キリスト者の自由の二つの原則が語られています。

①キリスト者は、すべての者の上に立つ自由な主人であって、何者にも従属しない。(従属する=支配される)
②キリスト者は、すべての者の下に立つしもべであって、何者にも従属する。

ルターは、キリスト者はすべての者に対して「自由な主人」であり、同時に「下に立つしもべ」であるという、一見矛盾するような二つの定義を掲げながら、この二つの定義は、根底で結ばれ、一致しているのだと主張しています。

なぜなら、本当の自由は信仰によって得られるものであり、この自由を得たキリスト者は、隣人に対して奉仕の愛を持たずにはおれないからです。そしてルターは、この二つの定義の一致こそが、キリスト教信仰の真髄であると言うのです。これは本当の自由というものを正しく理解するための助けになる大切な考えです。

このキリスト者の自由に対する二つの原則は、聖書の中のパウロの言葉からも明らかです。パウロは、第一コリント9:19で、「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」と言っています。

つまり、誰に対しても自由な人は、ある目的を達するために、すべての人に仕えることができるようになるということです。パウロにとって、その目的とは、人々の救いでした。自分が福音を宣べ伝え、その人がキリストを信じて救われるためには、自分自身のあり方を捨てることができるのだということです。

「自由な主人」であると共に「下に立つしもべ」であるという矛盾の中に見出されるキリスト者の生き方の原理、実に考えさせられる大切なテーマです。

人を支配するのでもなく、人に従属するのでもない、キリスト者に与えられた高貴な自由、この素晴らしい自由を私たちはどのように実生活の中に活かすことができるでしょうか。

人が自分の期待に応えてくれない時、私たちは怒ったり、ひがんだりします。教会の中でも、しばしば見られることです。これは、「この人は、私の期待に応えるべきだ」という思い込みの結果であることに皆さんはお気づきでしょうか。言い換えれば、相手が自分の支配に服さなかったことへの怒りなのです。

なぜ他の人があなたの期待に応えなければならないのでしょうか。その人の行動はその人が決めることであって、あなたが決めることではありません。他の人の行動を、あなたが決めようとすることは、他人の家に土足で上がるようなものであり、境界線を越える行為です。

また逆に、相手の期待に応えようとして応えられなかった時は、自分を責め、自己嫌悪に陥ります。これは、「私はこの人の期待に答えるべきだ」という思い込みの結果です。つまり心理学的に言えば、自分が相手に評価されなかったことへの怒りなのです。

自分の期待に応えることを相手に要求するのは「支配」であり、相手の期待に応えることを自分に要求するのは「隷属」です。どちらも本当の愛ではありません。では本当の愛とはどういう関係でしょう。それはこのような関係です。

たとえば、Aさんが私に「良い牧師」になることを期待するとします。しかしAさんの持っている「良い牧師」のイメージは、私の持っている「良い牧師」のイメージとは違うところがあるでしょう。ですから私はAさんの期待に100パーセント答えるわけにはいかないのです。

そこで私も共感できる部分においては、Aさんの望みに合わせようと思うのですが、それさえも私の能力不足のために十分にできないところがあるかも知れません。そういうわけで、Aさんが私に10を期待しても、私は5しか答えられないかも知れないのです。

そこでAさんがキリスト者の自由ということをわきまえている人であれば、その5を感謝して、あとの5はAさんの期待と違うままで受け入れてくれるはずで、もちろん私の方もAさんに対して同じようにします。お互いに、期待に答えられる時と答えられない時があります。しかし、そのことは二人の関係に何の影響もないのです。これが教会という愛の共同体のあり方であり、キリスト者の自由の二つの原則で述べられていることなのです。

フリッツ・パールズの“The Greatest Prayer”という詩があります。

私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
私は、あなたの期待に答えるために、この世にいるのではない。
あなたも、私の期待に答えるために、この世にいるのではない。
あなたはあなた。私は私。
もしも我々が、お互いの願いに答えることができたら、それは素晴らしい。
しかし、たとえお互いの願いどおりの行動ができなくても、
我々が良き友であることには変わりはない。

このキリスト者の自由の二つの原則、また、このパールズの詩が、本当の自由ということについて皆さんに大切な気づきを与えてくれることを心から祈ります。

今日の一言: 本当の自由は私たちをあらゆる束縛から解放する。

平安
鶴田健次

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2014.09.05 06:40 | 鶴田健次牧師より
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