
実は、私はこの日グランドキャニオンに来る前に大事なキッチン用具と食べ物を忘れてしまいました。それは、キャンプをする上で致命的なミスでした。信じられない初歩的な失敗をした自分のしたことが許せず、落ち込みました。忘れたことにより、それを現地で賄うために余計なお金が飛んで行きましたし、その分を子供たちの楽しみの為に使えたのにと、母としてはとても悔しい思いでした。
そんなきっかけで悩み始めた悩みはグランドキャニオンを超え、ラスベガスでの私の周りで起きたたくさんのことにまで及び、私は悩みの渦中にはまっていきました。携帯の電波も切れている、電話も繋がらないので誰かと話すこともままならない、「祈り」しかできない状況に立たされました。最初の2日はそれが非常に辛く、どんどん落ち込んで行きました。
その時に、祈りの中で、「悔い改めなさい。失敗を恐るな。」という思いが与えられました。私は日常生活で、子供たちのことで怒る時もありますが、彼らを許すことはできました。ただ、今回の失敗もそうですが、自分の失敗をなかなか許せない事に気づき、「何を恐れているのですか?」と神様に問われたのです。この時、トンネルの中で出口を見つけた気がしました。悔い改めるには、失敗を認めることが鍵だったのです。
確かに聖書では、悔い改めなさいと書かれています。悔い改めをするには、自分の過ちを認める事から始まるのです。私は、失敗を恐れる人生を送らないようにと必死に神様と相撲をとっていたのです。それでは、悔い改めどころか、自分の過ちを認めず泣いている駄々っ子です。それに気づいて以来、心がすぅーっと軽くなりました。私はこの為にグランドキャニオンに来たのかとさえ思いました。

結果的に、この時に購入したキッチン用品はかなり性能が良く、これからのキャンプ生活に必要不可欠なものとなりそうです。自分の思ってもいなかったものを神様から紹介され、感謝でした。
そしてキャンプは最後の夜になりました。素敵な日の入りをグランドキャニオンと共に子供達と見て、満点の星空も輝いていました。

そんな中、帰路日を目前に夜中、大雨に見まわれました。物凄い雷、凄い音の雨がテントを叩きつけました。かなりの音でしたので、とても怖い思いでした。明日はラスベガスの地に帰るのに、私一人でどうやって水びだしのテントを片付けようかなどと、心配していました。
この時も、また祈りました。祈りの中で今度は、海の上で揺れる舟の上で眠るイエス様が浮かびました。弟子たちは大波に舟が叩きつけられ、不安になりイエス様を起こす場面です。
「心を騒がすな。イエス様が最善の策を与えてくださる」という思いが与えられ、"神様は先ほど、私に力強い励ましを与えてくださったのに、なんて信仰の弱い私。。。聖書の言うとおり。これが、信仰の訓練なのかもなぁ〜"としみじみ思いながら、眠れなかった長い夜が終わり、眠りにつくことができました。
朝起きて、テントに溢れた水の量にびっくりしました。その隣にバケツ一杯くらいの雹が溶けずに降り積もっていました。凄い音がしたのは雹だったのです。
水びだしのテント、マットレス、寝袋をたたむのは一苦労でしたが、実際にやってみると思っていたほどでもなく、予定通りにラスベガスの帰路につく事ができました。
帰り道で、神様の不思議さを思いました。私はキャンプの間 失敗や悪天候の中にいましたが、このように、もし自分に理不尽な事が起きたとししても、それでも必ず神様は逃げ道を用意してくださり、結果的により良い結果に導かれる。まさに、主の山に備えあり!なのです。
今回のグランドキャニオンのノースリムの旅は、何気に1番厳しい旅となった気がします。今までは生温い状況に置かれており、守られていたことを感じました。"自然の厳しさ"が"私の甘さ"の中に引き立ち、私は弱いものと認める事で更に強く神様が働いてくださる事を経験をさせていただきました。自然は、神様の素晴らしいみわざなのだと改めて感じました。
主のみなを賛美いたします!
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」ピリピ人への手紙4章13節
(ブログ制作チーム: Sao)
ブログランキングに参加しています。クリックで応援お願い致します。