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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日はノートルダム清心学園理事長・渡辺和子先生の講和『一人一人の魂への愛』をお送りします。

マザーが来日されて岡山の教会でお話されたときのエピソードをお話したいと思います。マザーのお話が終わった後で、一人の男性の方が質問をなさいました。「マザーテレサを尊敬していますが、ひとつわからない事があります。マザーの『死を待つ人の家』には十分な医薬品はなく人手も足りないと思います。なのになぜ、不足しがちな薬や人手を健康を取り戻すかもしれない良くなる人たちではなく、与えても死は避けられない人達に与えるのですか?」という質問です。

それに対してマザー・テレサは静かに毅然とお答えになりました。「私は与え続けます。なぜなら私たちの『死を待つ人の家』に連れてこられるホームレスの人たち、誰にも看取られないで死んでいこうとする人たちは、生まれたときから望まれないで生まれた人たちなのです。しかたなく産み捨てられた人たち、人間以下の扱いを受けてきた人たち、そういう人たちが死を目も前にして、『死を待つ人の家』に連れてきてもらい、まず名前そして宗教を尋ねてもらう。汚れているからだを清拭してもらい、今まで飲んだことのない薬をを与えられ、今まで受けたことのない温かい看護を受けて死んでいきます。人によっては数時間後、十数時間後、数日後かもしれませんが、その人たちがほとんど死ぬ間際に「ありがとう」と言って、死んでいきます。中には微笑みさえ浮かべながら死んでいく人もいるのです。本来なら産み捨てた親を恨み、冷たかった世間を憎み、願っても助けてくれなかった、神も仏もあるものか。そんな思いを抱いて死んでいっても、しかたない人たちが、「ありがとう」と感謝し、親を許し世間と和解し神様はいらっしゃるという信仰を取り戻して死んでいくことができるとしたら、そのために使われた薬や人手ほど尊い使われ方はないのではないですか?」とおっしゃいました。

私は(マザーの)通訳をしながら自分も修道院にはいるまで7年間仕事をしていましたから、とにかく合理性や効率を考えがちでしたが、このお話をうかがい、薬や人手は必ずしも患者を良くするだけではなく、愛されたという思いを持って死んでいくことができる、「ありがとう」と感謝して死んでいくことのそういう役目も果たすことができるのだと思いました。

このお話をされた後、マザー・テレサが感に堪えない表情で「It is so beautiful」とおっしゃったのです。「それは本当に美しい光景です」。美しいという言葉ときれいという言葉とは表現しているものが違うと思います。マザーがおっしゃったお言葉の中にこういう言葉がございます。「私はいつも死にゆく人々の最期の眼差しを心に留めています。この世で役立たずのように見えた人たちが、その最も大切な瞬間、死を迎える時に、愛されたという思いを抱いてこの世を去ることができるためならば、私は何でもしたいと思います。」とマザーはおっしゃっていました。マザー・テレサがなさったこと、今そのあとを継いでシスターやボランティアの人たちがしていることは、この言葉に尽きると思います。体を癒し薬を与えることが、何を意味しているかと言えば、一人一人が愛されたという思いを抱いて、この世を去っていくことができるそのための「死を待つ人の家」での仕事だと思います。

一人の日本人の医師が、マザー・テレサのところにボランティアに行かれ、帰国されてからテレビでお話されているとこをたまたま拝見したことがありました。そのお医者様は「マザー・テレサのところには見るべき医療はなかったけれど、真の看護がありました」とおっしゃられておられ、私はそのお言葉にたいへん感銘を受けました。日本の診療所ならどこにでもある注射器や医療器具、薬局には山のようにある薬がマザーの所にはなかった。しかしそこには、真の看護があったのです。看護の「看」という字は手と目という二つの漢字でできています。どんなに医療機関が発達し、看護師さんたちの仕事を助け手間を省かせたとしても医療機関に頼りすぎて、看護の原点である温かい手と優しい眼差しが忘れられているとしたら、本末転倒と言われても仕方ないと思います。

イエス様がこの世においでになったと言う事は一人一人の人間が愛されたという思いを抱いて生き、そして死んでいくためだと言っても過言ではないと思います。そのためにイエス様は十字架についてくださいました。マタイの25章に有名なお言葉がございます。「あなたたちは私が飢えているときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、裸のときに着せ、病気の時に見舞ってくれた。私の最も小さな兄弟姉妹の一人にしてくれたことは、私にしてくれたことである。」マザー・テレサがそしてその後シスターたちがしていらっしゃることは、このことだと思います。それは飢えている人に食物を与え、渇いている人に水を与えるということだけではなく、その人たちがそうされることによって、愛されたという思いを抱き、手をかけてもらった喜びを味わって安らかで穏やかな死を迎えることができる。(イエス様は)そのための例をおあげになったのだと思います。

私もマザー・テレサの薬と人手の話をうかがってしみじみと、イエス様のお話を思うことができました。そして私もできる限りこの御言葉にそって、人々に愛されたという思いを抱かせることができる生活を送りたいと思っています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.10.05 00:00 | 信仰者シリーズ
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