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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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暗黒大陸といわれたアフリカの奥地に、福音の光と新しい歴史の道を切り開いた人それがリビングストンです。彼は1813年3月19日に、スコットランドのグラスゴー市の近く、ブランタイヤという小さな町に誕生しました。父のニイル・リビングストンは、代々からのプロテスタントの信仰者であり、母のアグネスは5人の子供達に、「敬虔、快活、柔和」を身をもって示し、育てたということです。先祖の1人は、自分の家系にただひとりの不正直者のいないことを誇りとし遺言に「子供達よ、正直であれ!」と言ったといいます。そしてこのことは彼の血にも受け継がれ、後の偉業を助けるために力ともなりました。

彼は両親の厳しい指導と、信仰への期待の中で成長していきましたが、科学に関する本や旅行記が大好きで、そちらを夢中で読みました。しかし、家が貧しいために10歳の時から紡績工場に出て働きました。朝は6時から夜の8時まで仕事をし、それから2時間を夜間学校で勉強するという毎日を過ごしました。学ぶことの好きな彼は、家に帰ってからなお12時まで本を読み続けました。12歳頃、自分が罪人であることに気づきはじめましたが、頭だけの理解のため、自分のような者は神の祝福を受ける資格がないと思い、信仰を持つまでにはなりませんでした。しかし、20歳頃ある書物を読むうちに、主の十字架を今すぐこのまま受け入れればよいのだと悟り、断然主を救い主として信じて生まれ変わりました。

今やリビングストンは、神の愛にこたえるために自分の一生をささげたいという思いに満たされていました。ちょうどその頃、中国伝道を行っていたギュツラフ(日本最初の聖書を和訳した人)の書いた本を読み、その熱烈なアピールに心動かされて、中国への医療伝道者になる決心をしたのでした。そこでまず医学を勉強するため、暖かい半年間は一生懸命に働いて学費を作り、冬の半年間をグラスゴー大学で学ぶことになりました。彼は医学の他に語学と神学についても学び、さらに後には、ロンドン大学でも学びを続けました。26歳の時、彼はロンドン伝道教会の宣教師となる試験を受けました。その一つに実地訓練がありました。ある日、牧師に代わって説教をすることになり、講壇に立って、いざ話そうとして何を話すのかすっかり忘れてしまいました。いくら考えても思い出せません。ついに「皆さん、私は何を話すのか忘れてしまいました」と言って、講壇を降りて逃げ出してしまいました。こんなふうに彼は人の前で話すことが下手で、一生うまくなれなかったといいます。

いよいよ中国へという時、アヘン戦争が起こり道が閉ざされてしまい、失望と落胆の毎日を過ごさなければなりませんでした。ところが、そこへアフリカの宣教師モファットと出会って、心動かされ「私のような者でもアフリカで何かできるでしょうか?」とたずねると、「勿論です。ただ誰も入ったことのない奥地で伝道することです」とアドバイスされ、ただちにアフリカに行く事にしました。

こうして彼は、1840年12月8日ロンドンを出帆し、5ヶ月目にアルゴ湾のポート・エリサベツに上陸し、更に850キロ北のクルマンに到着しました。しかし、そこはすでに何人もの先着の宣教師たちによって伝道されていました。しばらく滞在した後、今度はまだ白人の足が踏み入れられていない奥地へと進んでいきました。文明社会と隔絶し、閉ざされた奥地に住むアフリカ原地人たち。リビングストンの愛と福音の使命は、想像を絶する数限りない困難を乗り越えて、伝道の道を切り開いていく力となりました。ある日、マボッサという小さな村で伝道している時、ライオンの急襲にあい左肩にその牙が食い込むという大怪我をしました。しかし、彼はどんな危険をも恐れません。原地人たちの求めがあればいつでも出かけて行って、病人や怪我人を助け、時には奴隷商人の手から、あわれな人々を救出しました。彼は無力な人たちのために、ヨーロッパの国々の奴隷売買に対して、強く反対を主張しました。

リビングストンは、やがて自分一人で行う奥地伝道より、自分の後から続いて伝道する人達のパイオニアになることこそ、主の求められていることであると確信し、生命がけの奥地探検を志しました。1858年2月、彼はイギリス政府の派遣によってこの旅行を敢行しました。まだ見ぬこの奥地探検には、忍耐と勇気だけでなく、はかり知れない困難がともない、また様々な犠牲と不屈の祈りを必要としました。このようにしてリビングストンの足の進む中に、中央アフリカの地図の空白部分は明らかにされ、交易の道は開かれ、文明の夜明けが訪れることになったのです。

アフリカ伝道に踏み出して30年間、奥地を歩き続けた彼は、1873年5月、バングエオロ湖のほとりにある小さな村にたどり着き、そこで病気と極度の疲労とで4日の未明、神に全アフリカの救いと祝福を祈りつつ、そのままの姿勢で天に召されていきました。忠実な従僕として最後まで従い続けた数名の原地人たちは、その遺体をていねいに運び出し、更にイギリス本国まで送り返されました。

一粒の麦となったリビングストンの後には、イギリスはもとよりヨーロッパ各国から、多くの宣教師が派遣され、40数年後の後には110の伝道教会と、19000箇所に伝道地が開設され、彼の祈りと遺志とが受け継がれていきました。

「暗闇の中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:16)

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.05.12 15:43 | 信仰者シリーズ
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