LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

images0421.jpg

今日はノートルダム清心学園理事長・渡辺和子先生の講和『キリストの香り「いつも喜んでいなさい」』をお送りします。

キリスト教との出会いは12歳の時に、東京・四谷のミッションスクールへ母が入学させてことによります。私が9歳のときに父が不慮の死を遂げたため、母としてはミッションスクールに入れたかったのだと思います。それまで広々とした武蔵野の小学校で、当時は珍しい男女共学のクラスの中、伸び伸びと勉強や遊びをしておりましたが、一転して狭い校庭、おとなしい女子、厳しいシスターの躾をキリスト教のせいだと思い、キリスト教にほとんど無関心で中学校・高校を過ごしてしまいました。18歳の時、まだ第二次世界大戦のさなかでしたが、自分を受け入れられない時期がありました。毎日、空襲がありいつ死ぬかわからない、そんな状況にある自分が、高慢で母に対しても冷たくしたり、すねたり、口をきかない、そういう自分のままで死んでいいのだろうかと悩み、スクールのシスターに相談に行きました。

するとシスターは私に一冊の聖書を渡してくださって、「毎日15分読んでごらんなさい」そして「そんなに自分が嫌なら洗礼を受けたらいかがですか。新しい人になれますよ」と言って下さったのです。私は水をかけていただくだけで新しい人になれるのだったら、キリスト教も悪くないな・・・と思い、シスターに特訓していただきました。そして4月のご復活祭が過ぎた頃、スクールのチャペル(私の洗礼の後、焼けてしまいましたが)そこの最後の受洗者として洗礼を授けていただきました。母は私が洗礼を受ける事を嫌がり、当時、敵性国家と言われた国の宗教になぜ入信するのかと立腹しました。私は私で母が「ダメだ」と言えば、母に逆らう気持ちで洗礼を受けました。

母は3日間口をきいてくれず、ミサに行く事も許してくれませんでした。私にとって一番、痛かったのは、母が「あなたはそれでもクリスチャン?」と私をなじってくれたことです。洗礼はマジックではありません。洗礼を受けたからと言って、急に優しくなったり勤勉になったりするわけではありません。自分自身との戦いが必要でした。母は聖書を手にしたこともありませんでしたが、聖パウロがテサロニケの信徒に送った言葉に「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんな事にも感謝しなさい。」という言葉がありました。聖書を読んだことのない母が、自分の意に反して洗礼を受けた娘に求めていたことは、喜びのある生活、祈りのある生活、感謝のある生活を私が行うことではないかと思いました。日本には1%のクリスチャンしかいません。99%のキリスト教徒以外の人がキリスト教徒に期待していることは、喜びのある人、祈りの人、どんなことにも感謝に到達できる人ではないかと考えています。

いつも喜んでいなさいというのは、ある意味で無理な話です。私達の毎日の生活の中には辛いこと、悲しいこと、嫌なこと、腹がたつこと、傷つくこと、だまされたり裏切られたり、失敗や過ちや人間の弱さからくることがたくさんあります。その時に悔しいと思っても、私はいいと思っています。旗を立ててもかまわないと思います。辛いこと悲しいこと悔しいことをいつか自分が断ち切って、神様は自分の力に余る試練をお与えにならないと信じて、この理不尽なこと悔しさはいつか私のためになる、必要だから神様は与えてくださっているのだ、と希望を持って生きることが大切でないかと思います。一時は苦しみ神様を恨んでも、その自分の思いを断ち切って、神様は決して悪いようにはなさらない、と考える事を習いました。

十字架上のイエス様の死が復活をもたらしましたように、私たちも自分の生活で小さな死を毎日経験することが、必要だと思います。いつか必ず訪れる大きな死のリハーサルを、日々、自分が人から傷つけられる言葉をいただいた時また挨拶をしたのに答えていただけなかった時の辛さや悔しさを喜んで受け入れることで、小さな死が一粒の麦の例えにありますように、そのまま死ななければ、そのまま枯れてしまいます。しかし自ら地に落ちて死んで、暗い土の中で人に踏まれ、時を過ごすといつかきっとたくさんの実を結ぶーそれに基づいた考え方だと思います。

「イエス様また今日もしくじりました。倒れてしまいました。」と申し上げますとイエス様は「いいよ私だってゴルゴタの丘をのぼっている時、三度も倒れたのだから倒れてもいいよ。また笑顔で起き上がってごらん」と言ってくださると思うのです。私たちはイエス様のように死んで生きます。そして生きていくためにそれも前より豊かに生きていくために、毎日毎日、小さな死、口答えをしたいときにしない、挨拶をしない方に挨拶をする、微笑んでくださらない方に微笑む、愛されるよりも愛することを、慰められるよりも慰めることを、理解されることよりも理解することを、そうすることによって平和を創り出す人となり、もし母が生きておりましたら「ようやくあなたも少しクリスチャンらしくなった」と言ってもらえるような自分になりたいと思っています。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。
2015.06.08 00:00 | 信仰者シリーズ
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.