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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今回は4月10日に続いて「聖霊の賜物」に関する第二弾をお届けします。

「聖霊の賜物」に関する正しい理解のためには、注意すべき大切な点が二つあります。

まずその一つは、「聖霊の賜物」の乱用ということで、その中の一つに「聖霊の賜物」の間違った評価があります。たとえば、あるクリスチャンのグループでは特定の賜物を他の賜物より優れているとし、そのためにその特定の賜物が彼らのステータスシンボルになっています。さらには、それがあれば第一級クリスチャンで、それがなければ第二級クリスチャンに見られるために、その賜物を持つこと自体が目的になってしまい、「賜物は御霊の思いのままに与えられるもの」という聖書の御言葉に反します。聖霊の賜物には、霊的地位の優劣、高低は絶対に存在してはなりません。どんな賜物も、神の前にその価値は同じであり、誰もそれを誇ったり、卑下したりすることはできないのです。

また注意すべきもう一つの点は、「聖霊の賜物」の多様性と程度差についての間違った見方です。聖書の中には偉大な信仰者たちの生涯が述べられていますが、それ程までの働きをなさしめたものは、神が並ではない聖霊の賜物を彼らに与え、彼らが熱心にそれを発展させ、神の栄光のために用いたからです。

ところが、彼らの素晴らしい偉業の理由を説明するとき、多くの人々は、必ずしも正しい見方をせず、ほとんどの場合、それは、「賜物神学」によるのではなく「献身神学」によっています。つまり、この人は神をこれだけ愛し、これだけ信頼していたからこそ、あのような事をすることができたのだ、という理解です。

したがって、誰でも、同じように神を愛し信頼するなら、同じような偉業を成し遂げることができるということになり、もし同じようなことが出来なければ、その人と神の関係の中で何か欠けているものがあるという結論を出してしまうことになり、それは自動的に人々に罪意識と敗北感を与えてしまうのです。

聖霊の賜物に色々な種類があるように、賜物の大きさの程度にも多様性があります。神はご自身の自由なご計画に基づいて、それぞれに賜物を分け与えておられます。それは丁度、タラントのたとえの中に、五タラント、二タラント、一タラントの持ち主がいたのと同じです。もし、神の知恵とご計画に沿って与えられた賜物が、正しく理解され、活用されているならば、裁き合い、誤解、比較などの非福音的、非生産的なものは、ことごとく回避できるのです。

次に、「聖霊の賜物」に対する中途半端な理解は、しばしば聖霊の賜物と他のものとを混同させてしまう場合があります。中でも特に、聖霊の賜物は、①生まれつきの能力、②御霊の実、③クリスチャンの役割、④偽物の賜物と混同して捕らえられることがあります。

①「聖霊の賜物」と「生まれつきの能力」とを混同してはならない。

すべての人は、生まれつき幾つかの能力を持っています。したがって、教会でも、歌の上手な人、スポーツの得意な人、またカリスマ性の高い人などを指して「あの人には賜物がある」と言うことがあります。また、確かに、それらの生まれつきの能力を教会の働きに用いている人も少なくありませんが、聖霊の賜物はクリスチャンにだけ与えられているもので、生まれつきの能力が改善されたものではありません。しかし、ある場合には、神は生まれつきの能力を、その人がクリスチャンになるときに聖別し、聖霊の賜物に変えられることもあります。

②「聖霊の賜物」と「聖霊の実」とを混同してはならない。

聖霊の実は、ガラテヤ書5:22、23に「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」と記されています。つまり、御霊の実はクリスチャンの成長、成熟、キリストに似た者としての人格的性質のことで、聖霊に満たされた者に期待されている結果です。

すべてのクリスチャンは霊的に成長する責任があるゆえに、みな等しく御霊の実を育成する責任を負っています。また「実」というのは、賜物のように発見すべきものではなく、クリスチャンが聖霊に明け渡して歩むことを通して育成されていくものです。したがって、聖霊の賜物はそのクリスチャンが何をなすか(行動)を明確にするのに対し、御霊の実はクリスチャンとは何であるか(存在)を明らかにするものです。

③「聖霊の賜物」を「クリスチャンとしての役割」と混同してはならない。

聖霊の賜物は、それぞれのクリスチャンに、ある特定のものが与えられていますが、クリスチャンとしての役割はすべてのクリスチャンに期待されるものです。

たとえば、「信仰」はクリスチャンならば、誰もが持っているべきものであり、それがなければクリスチャンではあり得ません。しかし、神がキリストの体のある特定の人にのみ与えておられる「信仰の賜物」は、これとは全く別のもので、誰にでも与えられているものではありません。

また「祈り」は、すべてのクリスチャンに求められているものですが、「執り成しの祈りの賜物」は特定の人にのみ与えられています。

あるいはまた、クリスチャンには、旅人をもてなす役割が与えられています。しかし、神はある特定の人に対して、「接待の賜物」を与え、それを用いて役割以上の働きを導かれるのです。さらに勧め、伝道なども、役割と聖霊の賜物とが混同されやすいものです。

もちろん、ご自身の命を私たちのために与えて下さったイエス様のために、私たちクリスチャンは、必要があれば、聖霊の賜物の有無に拘わらす、どんな役割をも果たす覚悟がなければなりません。

④「聖霊の賜物」を「偽物の賜物」と混同してはならない。

聖書は、「偽預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをする」(マタイ24:24)と注意を促しています。サタンは確かに、偽の賜物を人々に与え、神の働きや教会の働きを邪魔しようとしていることを忘れてはなりません。

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2014.04.16 17:02 | 聖霊の賜物
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