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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ジョン・バンヤンは、1628年11月30日、イギリス中部のベッドフォードの近くにある、小さなエルストウ村で誕生しました。父は貧しい鋳掛屋だったため、小学校の勉強さえあまりさせてもらえず、その上にガキ大将で通っていました。このような腕白な少年時代をすごした彼も、時々ささいないたずらをした後で、激しい罪悪感を覚えることもありました。

その頃のイギリスは清教徒(ピューリタン)が政治力をもっていました。1644年に内戦が起こり、バンヤンも政府軍に入隊して戦いました。翌年には勝利のうちに軍隊は解散となりましたので、家に帰り、2-3年後に信仰心の篤いつつましい女性と結婚しました。この妻は、自分の父の形見として聖書と信仰書の2冊を持ってきました。それで彼はこの書物を熱心に読むうちに、求道心が起り始めました。国教会に出て信仰生活に精進しましたので、いつのまにか「イギリスでは私ほど神に喜ばれる人間はいないだろう」と自負する有様でした。

ある日、彼は鋳掛屋の仕事をしながら、ベッドフォードの町を歩いていると、女性達が数人立ち話をしているのを耳にしました。それは生まれながらの人間は、いかにみじめな者であるかとか、新生することはどんなに素晴らしい喜びであるかとか、魂の内にある神の平安とかいうことでした。

外面ばかりを考えていたバニヤンにとって、これは新しい話でした。それでもう一度真剣に聖書を読み、またその頃知り合ったバプテスト教会の、ギフォドという人からも色々と教えを受けました。自分の内側が神の光に照らされたとき、あまりにも醜いのに気づかされて大変嘆きました。「こんな罪深い人間として生まれるよりも、あの枝の上の小鳥か、池の蛙に生まれたほうが良かった」と思わずにおれませんでした。しかし、ついに主の十字架によって、すべての罪が赦されるのであることがわかりました。地獄だけが自分の行くべき場所だと思っていたので救われた喜びは一通りではありません。

バンヤンは、国教会からギフォドのバプテスト教会に属することになりました。それと共に救いの喜びを伝えずにはおれなくなり、人々の求めもあって、教会で説教しはじめました。彼の話は実際の体験に裏づけられた上に、深い聖書の理解と共に豊かな想像力がともない、誰にでもよくわかりました。

ところがその頃、清教徒による共和政治がくずれ、王政復古となりましたので、それまでの厳格な清教主義の反動が起り、あちこちで迫害が開始されました。その一つは、国教会外の、聖職者の資格を持たない者が説教をすることの禁止でした。バンヤンはそのカドで逮捕され牢獄の人となりました。もし説教を二度としないと誓えば、赦してやろうと言われても「私は今日牢獄から出たら明日からまた説教をする」と主張しますので、これがために12年間も獄中で過ごさなければなりませんでした。この間に彼は、徹底的に聖書を読みふけりました。それと共に10冊余りの書物を書き、この中に「溢るる恩寵」という優れた内容の本も含まれていました。

1672年に一度釈放され、しばらくしてまた逮捕され、今度は半年獄中で過ごし、この時に「天路歴程」が書かれたのでした。これはミルトンの「失楽園」と共に、ピューリタン文学の双璧、また英国文学の祖ともたたえられています。獄中という逆境の中で、ひたすら聖書を学びこの大いなる働きをなしとげたのです。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.03.16 22:28 | 信仰者シリーズ
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