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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ウィリアムズは、1829年7月18日にバージニア州のリッチモンドに誕生し、アメリカ聖公会の宣教師として伝道しました。ウィリアムズの先祖は信仰の自由を求めて、イギリスから移住した清教徒(ピューリタン)でした。両親は共々にこの信仰を受け継ぐ熱心な信者でしたが、父の方は彼の幼い日に戦死した為、母の手一つで養育されました。彼は母の信仰を子供の時から受け入れ、成長してきました。

やがて彼は24歳の時、宣教師となる決心をし、最初は中国に渡って伝道しました。そして30歳を迎えた、1859年6月29日、日本へ最初のプロテスタント宣教師としてやってきたのです。その当時の日本は「切支丹邪宗門禁制の事」、すなわちキリスト教を信じる事を禁止する高札が立てられていて、自由な伝道はできませんでした。それで言葉によらず、行いによって伝道するように心がけ、どんな人に対しても親切を尽くして助けました。

ウィリアムズは、1866年に日本聖公会の主教(監督)に任命されました。監督といえば月給が当時の額で700~800円だったそうですが、彼は月15円で生活していました。いつも粗末な食事ですませ、冬はストーブも焚かず、服といえば古物屋から買って着ていました。ある時、駅の待合室で「乞食は向こうに行け」と駅員に叱られたので、彼は「ハイ、ハイ」と頭を下げて言われるままに隅にいますと、しばらくして大勢の信者たちが見送りにやってきたので、先の駅員は誰であるかを知ってビックリしたと言うことです。

ウィリアムズ監督の家には炊事人の方がいましたが、買い物をすると、彼は「もっと安い物と代えてきて下さい」と言って買いかえさせました。あまり度重なるので炊事人はそれを嫌って、「監督さん、こんなにされてはたまりませんから、おひまを下さい」と言って出て行こうとするので「そうですか、仕方ありません」、そう言ってから何か持ち出してきました。それは何百円かの貯金通帳で「これは買いかえてもらった時の、浮いた分をあなたのために貯えたものです」と言って差し出したので、炊事人は驚き自分の不信得を深くわびて、それからは忠実に仕えたということです。このように貧しい生活に徹して、残ったお金をみな主のために捧げました。ウィリアムズは、東京、大阪、京都など8箇所近くも教会堂を建て、また学校(立教大学、立教女学院等)も創立し、信仰と教育と尽力したのでした。

ウィリアムズはあまり日本語は得意でありませんでしたが、その話には不思議な魅力がありました。また誰でも彼を見れば、イエス様を見るような気がして、時には仏教のお坊さんが、その人格の気高さに打たれたということです。日本へ30歳の時来られて79歳まで伝道し、力の限り働き通されたので、頭も体も働くなくなり困難をきたしましたので、人の厄介になるのはいけないと思われてか、ある日こっそりと日本を離れ、母国アメリカで日本人の救いのために祈り続け、ついに82歳で眠るが如く天国に行かれたと言う事です。

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2014.01.26 22:33 | 信仰者シリーズ
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