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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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私たちの教会では、新しい年を迎えるたび、私たちは各自 御言葉を選び、新年会の場で発表します。今年も私は2014年の年に向けて御言葉を選びました。

毎年私は、年が明ける前にその年に起こった事を振り返り、新年を迎えると、今年の自分はこんな感じになりたい!というようなイメージを掲げて御言葉を吟味するのですが、今年は少し違いました。

このブログにお証しをかかせていただく機会が2013年も多々ありました。その中でたくさんの間違い、トラブルを思い返したときに、越えなければいけない壁を越えず、神様が祝福したくても祝福できない又は、祝福を取りこぼしている年であったことに気づきました。

なぜでしょう?それは、私自身が神の通りよき管となっていなかったからです。昨年は確かに証しを書く機会をたくさん頂きました。しかしながら、私は神様と本気で向き合っていたのでしょうか?少しクリスチャ二ティーを学べば、素晴らしいクリスチャンのような振りはいくらでもできます。いや、たぶん私なりに向き合ってはいたのでしょう。ただ、自分の中で覚悟が決まっていなかったのだと思います。

私は自分の証を読み返したときに率直に抱いた思いは、「神様は私を祝福したくて仕方がない。けれど、私はその祝福を頂く器が足りなかった」のだと思いました。

そうして、私は覚悟を決めました。神様により従える自分を造るには、①礼拝、祈祷会やSGなど、霊的イベントに参加できるスケジュールに変更する。②自分の中の傷を排除する。

私は昨年、大きな傷を心に負いました。それは、自分が撒いた種というよりも、間接的にダメージを頂いたようなものでした。ですので、かえって自分に非があるということに気づくのに時間がかかりました。そして、その傷を見るとまた違う過去が災いしていました。そして、その傷を見るとまたまた違う過去が。。。の悪循環であることに気づき、私は自分自身の根本的な傷の手当てが必要なことに今年初めて気づきました。恐ろしい事は、自分は被害者で加害者であるということに気づかないことです。

被害者であるときは、誰も信じられない思いで心が支配されますが、やはりそれを乗り越えていかないと傷の手当てはできない覚悟の必要な思いであることを示されました。

誰でも傷はあります。それを神様に取り合っていただけるときは、それなりに覚悟はいりますが、それと同時に神様は「あなたを祝福する準備はもう既に整っています。安心して飛び込んできなさい。」と仰ってくださってくださっているのだと思います。

仕事で出席できない祈祷会も通えるようにまず最初に「通いたい」という思いを与えてくださった。祈り、そして私が行動に出やすい道をも神は整えてくださいました。そして、励ましの言葉により私の覚悟も決まりました。そして、先週のブログにも書いた感謝の年に繋がっていけますように、この一年、私に神様から語り続けてくださる御言葉が与えられたのです。

それぞれの道2014年。これが私の今年の御言葉です。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」創世記28:15

(LVJCCブログ制作チーム:Sa0)

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2014.01.15 22:00 | 証し
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