LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

philippians-1_29.png

あの碧蒼な空へ
帰れるのだと思ったら
今日もほんとうに
いい一日だった

私から何もかも
取り上げてしまわれた
神様はいい方
神様ご自身を下さった!

もうすぐ
あの雲のように
自由になれるのね
ああ お父様
ありがとう!


この詩は「静かなる焔」の著者として知られる野村伊都子さんの作品です。野村さんは、若くして腎臓結核となり、苦しみに苛まれる中、そこから生み出された詩、文は多くの人たちを力づけました。

野村さんは信仰を持つに至った道をこのように回顧しておられます。

女学生の頃、矢内原忠雄『余の尊敬する人物』の中の「エレミヤ」という文字に心ひかれていた。しかし戦争が始まり、いつしか忘れていた。やがて敗戦を迎え、そのショックから重病の腎臓結核となった。厄介者でしかない長患いの悲惨から、自分で命を断とうと考え、今日が最後と持ち物を整理していると、ほこりの積もった聖書が出てきた。ある人が置いていったもので、パラッとめくってみると、そこに「エレミヤ」という言葉があった。「何という懐かしい文字!懐かしい言葉。かつて、響きが好きで忘れ得なかった文字、言葉となった『エレミヤ』が、こんなところにいて死の床の私を救うために待ちうけてくれていたとは。」私は食い入るようにしてそのまま聖書に読み入りました」と。こうして「エレミヤ」によって、死の床でキリストとの出会いの奇縁がつくられ、さらに矢内原忠雄との直接の出会いが与えられ、信仰が育まれたのです。それは「本当にすべてが神様の深いご配慮であり、ご恩恵でありました」

信仰の道に入った野村さんは、腎臓結核に膀胱結核を併発し、非情な苦しみの中で、目の不自由な人の為の点訳の労に就いたのです。その姿はどれほど多くの人を力付けた事でしょうか。やがて人工膀胱をつけ、健康人の生活に戻る事が出来ましたが、やがて肝硬変を病み、苦しみの中で神に召されていきました。水一滴のどを通しても、ころげまわるような苦しみの中にありながら、主よ今日の重荷は何ですかと、詩の一部にうたっています。「どんな重荷でも、神よお受けいたします」と言わしめたのは、キリストの十字架により苦難に打ち勝った謙虚な姿であると言えるのではないでしょうか。積極的に、キリストの十字架の苦難にあずかろうという姿です。しかも、すでに負いきれないと思えるような病苦での中でです。この野村さんの毎日々々、「主よ、今日の重荷は何ですか」と問う姿に、人々が神の御名を褒め称える事を思います。野村さんの重荷を負われた主は、今日も生きて私達の重荷も負ってくださいます。どうぞキリストの愛の元へいらしてください。

LVJCCブログ制作チーム:Kao

ブログランキングに参加しています。クリックで応援をお願いいたします。
2014.01.04 18:13 | 信仰者シリーズ
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.