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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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最近、私と11歳の娘の中にこんな会話があった。
「わたし、ユースのクラスで祈りのリクエストしたんだ。」

中学生になり、ユースのクラスにあがった娘は、今回のクラスで打ち明けた自分の葛藤のことを話してくれた。娘の話によると、最近、日本のテレビアニメが好きで、週に一回ある自由時間を利用して娘はよく見ていたのだが、クリスチャンの自分は、神様の他に夢中になるものがあっても良いのか疑問に思い、祈りのリクエストを出した様子。

何かに夢中になるということは、一見素敵な事で、良い趣味かのように見える。しかも、私は娘に日本語を維持して欲しいので、日本の番組をみて日本語を鍛えてくれるのは、大歓迎。しかし、趣味から一転、段々とのめり込み、やめられない衝動にかられる自分に危険信号を出した娘がお祈りのリクエストを出し、私に教えてくれたことにより、私自身もはっとさせられた。

そこで、周りを見渡してみると、教会でも同じような事が起こっていた。観察してみると、何人かの子供達は食事の時からゲームをし始め、度々交わりの時間の中心がゲームになっていた。11歳の娘より小さい年齢の子達は、葛藤するどころか、おそらく 「楽しいから、その楽しさで埋められる満足感」が満たされ続けるために、それがやめられなくなる状況が出来上がるのだと思う。

便利な世の中になったのと同時に、なんとも人はいとも簡単に心が奪われやすいものか。大人でもコントロールが難しいのに、子供はもっと難しいに違いない。

娘はユースのクラスに入り、色々な事を理解し始め、そしてクリスチャンである自分の世の中の立ち位置も理解し始めている。まだ幼いと思っていた娘の「自らの葛藤に気づく」ということも、親の私からしてみれば驚く出来事であった。

そこで私はどうしても聖書から答えが知りたくなり、祈り、聖書を読んだ。そして、この御言葉にぶつかったのである。

「ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。私は賢い人達に話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇に預かるではありませんか。
私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。いや、彼らのささげる物は、神にでなく悪霊にささげられている、と言っているのです。私はあなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。
それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。
すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」第一コリント10:14-23

子供達の将来は教会の将来。クリスチャンは規制宗教ではないが、やはり日々ピントを神様に戻して、親として、子供達の良い見本となるためにも、自分を戒めたい。

ブログ制作チーム: Sao


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2013.11.06 11:44 | 証し
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