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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、”神の究極的目標”ということについて考えてみました。

イエス・キリストは復活ののち、多くの人々の見ている前で天に昇って行かれる時、遺言とも言うべき地上での最後の言葉を弟子たちに残していかれました。それは「地の果てまで、わたしの証人となりなさい」という言葉でした。

テモテ第一の手紙2章4節を見ると、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられる」と書いてあります。つまり、神様の関心は、特定の人や、特定の民族に向いてるのではありません。いつも全世界、それもすべての人たちが救われるように願っておられるのです。

マルコの福音書16:15でも、イエス様は弟子たちに、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」と言われました。

ですから、私たちも、もっと世界に目を向け、すべての人をもっと身近に感じることが出来るように、すべての人の中に神様を認めることが出来るよう、聖霊によって、そんな心を与えていただきたいと思います。

フランスのカトリック教会の司祭ミシェル・クオストは、「すべての人は、わたしの兄弟だ」と言いました。キリストが十字架で流された血によって、わたしたちは同じ父なる神の子とされた者。家族の一員が苦しんで死ぬと、他の家族も悲しみます。

ミシェル・クオストは、こう言っています。「毎年、数百万人の人々が餓死するのを知った以上、このままの生活に安住するわけにはいかない。主よ、わたしはもはや腹いっぱい食べることをしません。わたしは二度と満腹になりたくありません。主よ、わたしは生きるのに必要なものだけを食べて、あなたに仕え、わたしの兄弟たちのために戦います。それは主よ、わたしが食べ飽きているときに、あなたが空腹で、餓死なさるからです」

いかがでしょうか?「わたしが食べ飽きているときに、あなたが空腹で、餓死なさるから」 これは、貧しくて飢え死にしそうな人の中にイエス様を見ながら、この大切な人が、わたしが食べ飽きている間に、飢えて死ぬことのないように、わたしはもはや満腹になるまで食べることをしないという決断です。

すべての人が救われることを願っておられる神様と同じ思いを持ち、神様の手足となって、神様の究極的目標のために働きたいと願うなら、私たちは人々の中に神様を見る心をもっと養わなければなりません。

もし皆さんの助けを必要としている人に助けの手を差し伸べることを、それが大した犠牲でもないのに、それを嫌がる思いが自分の中にあるとしたら、それはイエス様を嫌がっていることと同じです。

イエス様は、マタイの25章で、「これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわちわたしにしなかったのである」とおっしゃいました。またその反対に、「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわちわたしにしたのである」とおっしゃいました。

いかがでしょう、皆さんが、弱い人、困った人に助けの手を伸ばされるとき、それはイエス様に対してしている事として、神の国の勘定書きに記録され、弱い人、困った人に助けの手を差し伸べることを拒否したとき、それはイエス様に対してした事として記録されるということです。

キリストの証人として生きるために、ぜひ、すべての人々の中にイエス様を見る心を与えていただきたいと思います。

今日の一言: すべての人の中にキリストを見る心を持とう

平安
鶴田健次

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2013.11.01 12:42 | 鶴田健次牧師より
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