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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

伝道の書
本日は内村鑑三全集より、「神の時」に関する内村氏の書をご紹介させていただきます。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり」(伝道の書3章1、2節)と言う。それでは信者が死ぬべき時とは、どのような時であるか。

信者は必ずしも長寿を保つべきではない。死は彼にとっては神の呪詛(のろい)ではない。彼には死ぬべき時がある。その時が来れば、彼は感謝して死ぬべきである。

信者は、神の僕である。主人から特殊な要務を委ねられた者である。ゆえに彼は、この要務を果すまでは死ぬべきではない。そして彼は、その時まで決して死なないのである。

リビングストンが言った「我等は天職を終るまでは不滅なるが如し」という言葉は、信者の確信である。しかし、彼がもし既に果すべき事を果し終ったならば、彼は死ぬのである。彼は長寿の祈求(ねがい)によって神に迫ってはならない。

僕(しもべ)は、主人の用を果せば、それで去ってよいのである。彼は心に言うべきである。私は長く生きることを欲しない。私は、ただ私の主の用を為したいと思うと。

信者は、神の僕であると同時に、また神の愛子(いとしご)である。ゆえに神は、彼が成熟して天国の市民となる資格を備えるまでは、彼をこの世から召されないのである。

信者がこの世に在るのは、疵(きず)なく汚(しみ)ない者となって、主の台前に立とうとするその準備をするためである。そしてこの準備が成るまでは、彼は世を去ることを欲しない。そしてまた神は彼を世から去らせられないのである。

しかし、準備が既に成り、彼の新郎(はなむこ)である羔(こひつじ)を迎える修飾(かざり)が整った暁には、彼はいつこの世を去ってもよいのである。

問題は、長寿短命のそれではない。完備不備のそれである。新郎を迎える準備がなれば、花嫁は一刻も早く、彼の懐に赴(おもむ)きたいと思うのである。そうではあるが、しかし信者は、自分自身で画然と彼の死期を定めることは出来ない。彼は、果して彼の天職を成就したかどうか、また彼は、果して天国に入る準備を全うしたかどうかを確定することは出来ない。

しかしながら彼は、神は愛であると信じる。彼は今日までの彼の実験において、彼の生涯が、全く愛なる神の摂理によって形成された者であると信じる。ゆえに彼は、彼の生涯の結末において、神が彼を棄て、運命の潮流に任されることはないと信じる。即ち、彼は彼の神が、死ぬべき時に彼を死なせられることを信じる。即ち恩恵の手によって導かれて来た彼は、死ぬべき時でなければ死なず、また彼が死ぬ時は、彼が死ぬべき時であることを信じる。

神に依り頼む彼は、万事を彼にお任せするのである。まして人生の最大事である死においてはなおさらである。彼の生涯の指導に就いて誤られることが無かった彼の神は、彼の生涯の最大事件である死の時期を撰ぶに当って、決して誤られることはないのである。

ゆえに信者は、安心して死に対すべきである。必ずしも生を求めず、また必ずしも死を願わず、生きるのも主のため、死ぬのも主のためである。死ぬべき時に死ぬのは、大きな恩恵である。

もし徒に生を願って、死ぬべき時に死ななければ、これより大きな不幸はない。死ぬべき時に遇う死は、光明に入る門である。死は最大の不幸であると言うのは、信者が言うべき事ではない。彼はただ、死ぬべき時に死ぬことを願うのである。その時よりも早からず、その時よりも遅からず。

(LVJCCブログ制作チーム:kao)

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2013.09.03 15:11 | 信仰者シリーズ
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