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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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生涯を日本の農村伝道に捧げられたストーン宣教師は、1902年、カナダ・オンタリオ州ハイゲート村で生まれました。父の農業の手伝いをしながら少年時代を過し、高校卒業後は季節労働者としてアメリカで出稼ぎし、1920年にトロント大学へ入学。大学ではヴィクトリアカレッジで学び、ロンドン教区で牧師となりました。1926年9月、ストーン先生は日本に赴任し、東京で日本語を学び、1928(昭和3年)に長野市に赴任し、信州にある教会に派遣され、各地で農民福音学校を開催し、信濃農村社会教区という農村伝道と社会活動を地元の村の組織と共同で行いました。

27年間宣教師として働いたストーン先生の生涯を振り返るとき、農民として農村に生き、そこに働きの場を求めました。生活苦にあえぐ農民の魂と生活の向上を願い、農民と苦楽を共にし、一農民になり切ろうとしました。 土の中から出たような先生は土と共に生きる人を自分の分身のように接し愛したのです。ストーン先生は文化も習慣も違う日本にあって、日本家屋を愛し、集会では囲炉裏を囲んで座り日本食を食べ、流暢な日本語で語り合ったといわれています。ストーン先生は一人の人間を大切にし、一人にかかわり続けましたが、同時に個人を取り巻く社会の改善や変革を求めていました。「社会的救済とは、個人の救済に適うよう社会状態を変ずる事を意味する。」ストーン先生の言葉です。

ストーン先生は戦後、農村伝道のために中央農村教化研究所(現在の鶴川学院・農村伝道神学校)を設立しました。1954年に「北海道特別開拓伝道委員会」が組織され、10年にわたる北海道の特別開拓伝道が進められることになりました。ストーン先生はこの伝道の働きを担うために北海道に居を移して赴任されたのです。その会議ために同年9月、上京の途次、青函連絡船の洞爺丸で台風に遭遇して52歳で天に召されることとなりました。

台風の影響であまりに激しい風浪のため、同船は青森に向かうのを見合わせ、函館湾に待機していましたが転覆、約千人が波にのまれ犠牲になりました。そのときストーン先生とディーン・リーパー宣教師は、動揺する日本人乗客達を励まし、沈んでいく船の甲板で、救命胴衣を着けていない青年たちに、自分たちの救命胴衣を脱いで与えたそうです。結果として青年たちは助かり、二人の宣教師は亡くなりました。ストーン先生がまったく泳げなかったことを、それから四〇年後に来日した次男ロバート師が語っています。二人の宣教師は自分の当然の権利を捨て、隣人のいのちを救うため行動した神の使徒と呼ばれています。

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

(LVJCCブログ制作チーム:Kao)

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2015.10.26 10:51 | 信仰者シリーズ
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