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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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15歳になったばかりのジョージは、イギリスのグロスターにある、サウスゲート・チャペルの牧師コール先生の口まねをするのが大得意であった。彼は母親と義父のために、居酒屋の番をしながら、毎晩のように、近所の牧師の口まねをして楽しんでいたのである。ジョージが他人の口まねをしたり、劇的な演出をする才能を持っていることは、近隣に知れ渡っていた。学校では、市長が年に一度訪れるときに、いつも彼がスピーチをするように頼まれるのだった。ときには、幾日も学校をずる休みして、演劇の練習をしたりしたこともあった。

彼が15歳になったとき、学校教育は終わってしまった。家族でやっている居酒屋の手伝いに、彼が必要だと母親が言い出したからである。未来の世界的大伝道者となるべきこの少年は、午後と夜の間、居酒屋の床をモップで拭いたり、酒をついだり、コール師の口まねをしたりして過ごしていたのだ。

ある夜、ジョージとその仲間たちは、コール師の集会に乱入したことさえあった。少年達は「コールじじい、コールじじい!」と叫び、集会を大混乱に陥れたりもした。しかし、ジョージの友人たちも、居酒屋の客も知らなかったのは、ジョージが心のうちで、コール師の説教に興味を持っていたことである。居酒屋が閉店した後も、ジョージが遅くまで聖書を読んでいることがしばしばあったのである。

ある日、居酒屋を訪れた一人の友人が、ジョージに、オックスフォード大学に行かないかと言った。「アルバイトをすれば、大丈夫、卒業できるよ」と、その友人は勧めるのだった。ジョージは母親に相談した。その結果、彼は大学への入学資格を得るために、グラマー・スクールに復学する事になった。

こうして若いバーテンはついにオックスフォードに入学して、ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレーの兄弟に会うことになった。この兄弟は、「神聖クラブ」を作っていたが、学生たちはこのクラブを、からかい半分に、「信心家たちのクラブ」とか、「聖書の虫」だとか、「聖書一辺倒の偏屈者」だとか呼んでいた。最もひんぱんに用いられたあだ名は、「メソジスト(きちょうめん屋)」であった。彼らが定期的にきちんと礼拝を守っていたからである。

ところで、ジョージは、ウェスレー兄弟が守っていた敬虔な祈りの習慣に、特に引き付けられた。オックスフォードの二年のとき、彼は「神聖クラブ」の規則に従って生活することを誓約して、クラブに加入した。彼は、神聖クラブの他のメンバーと同様に、信心深く断食したり祈ったりした。ところが、いささかも魂の平安を見出すことができなかった事には失望した。

チャールズ・ウェスレーは、彼に「人間の魂における神のいのち」という本を貸してくれた。その本の教えは、光線のように若いジョージの心を照らした。「真の信仰とは、魂と神との結合であり、キリストが私のうちに住んでおられるのが実証されることだと、神は、私に示してくださった」と、のちに彼は書いている。

この真の信仰を求めて、ジョージ・ホィットフィールドは不断の祈りに没頭したのである。毎晩毎晩、彼はベッドでサタンよ去れと言って、うめき苦しんだ。また、食うや食わずの生活をし、持っているお金はほとんど全部貧民にやってしまった。そこで、粗末な毛の手袋をし、つぎのあたったガウンを着、きたない靴下をはいていた。こうして、熱狂的に神との結合を求めた結果、ついに病気になってしまった。

ある日彼は、イエスが「わたしは渇く」と言われたのが、十字架の上であったということを念頭に浮かべた。そのときのイエスの苦しみは、ほとんど終わっていたのである。そこで、若いジョージは、突然、ベッドに身を投げ出し「わたしは渇く!」と叫んだ。

彼はのちに、その時のことを、こう証ししている。「その後、すぐに重荷が取り去られたことを、私自身のうちに感じた。嘆きの霊は私から取り去られ、私は自分の救い主である神にあって、真に喜ぶのがどのようなことがあるかを知った。」

それから、一年を経て、ジョージはロンドンの大教会で、その「新生」の教理を説教した。やがて、全英国はこのすばらしい声をした青年説教者に熱狂したのである。ウェスレー兄弟の招きで、ジョージはアメリカに渡った。そして、ジョージに、劇的で霊的な覚醒をもたらした。イギリスに帰ると、自分が以前よりももっと有名になっていることがわかった。当惑した国教会がジョージに対して門戸を閉ざすと、彼は野外で集会を開き、3万人いやそれ以上の聴衆に説教をしたのである。そして、多くの聴衆は、新生の経験を公に告白した。

彼は再びアメリカに行った。その働きは非常に実り豊かなものだったので、懐疑的なベンジャミン・フランンクリンすら、「世界中がますます信仰的になっていくように思える」と言ったほどである。ジョージはそのときわずか26歳であった。その後さらに30年間もの間、大西洋を行ったり来たりして、大群衆に説教をした。彼は1770年に、キリストの招きに応じようとしない人達のために祈りながら死んだ。懐疑論者ボリンブルック卿は、彼を「われわれの時代で最も非凡な人」と呼んでいる。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2013.05.05 19:33 | 信仰者シリーズ
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