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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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ある風の強い夕べ、夕飯を食べながら私のある一言で夫と口論になりました。

「私たちの視点と神様の視点はいつも同じとは限らない。あなたは、自分の視点と神様の視点は同じだと思うの?」

夫は、車好きが高じて、アンティークの車を9台とボートを3台、バイクを2台持っています。車が多すぎて3台止められる車庫は一杯、ドライブウェイも一杯で、私の車を止められるスペースがなく、いつも近くの公園の前に止めています。

主人との話の中での私のポイントは、「車をたくさん買うことは神様の御心なのか」ということでしたが、夫は「自分の働いたお金で買ったもの。誰にも文句を言われる必要はない。それに、神様の許しがなかったら今私が手に入れているものはない」の一点張りでした。

話は終わり、夕飯の後片付けの後、友人との話の中でふと2週間前に起こった出来事を思い出しました。

車のオイル交換をしてもらおうと主人に頼んでおいたので、何日間か公園の前に止めていたことが仇となり、誰かに車の窓に大きな石を投げられ、無残にも私の車は修理に出さなければならなくなりました。

私が使っていた車の変わりに(かなりの)アンティークの車を毎日の片道20マイルの通勤に使わなければなくなったわけですが、ある時から 上り坂を走っていると60マイル以上スピードが出なくなりました。少しして今度は、40マイル以上出なくなりました。そして、いつのまにか 普通の道でも35マイル程度しか、スピードが出なくなりました。その帰り道、とうとうエンジンがかからなくなりました。

私は夫に連絡をとり、なんとか子供たちと一緒に来てもらい、車を近くの修理ができるお店まで車を動かそうとしましたが、なかなかエンジンがかかりません。何度かトライをし、やっとかかったエンジン。でも、スピードは8~10マイルが限度。車の隣を歩道者の人が追い抜いていける速度です。

目的地は、2ブロック先のオートゾーン(車の部品屋)。そろそろ~となんとか走ってくれていた車でしたが、大きな交差点を越えた時点でエンジンが再度止まってしまい、エンジンがかからなくなってしまいました。とっさに、夫が車から降りて車を一人で押し始め、私が運転席に代わりました。

時は夕方5時。交通量も多い交差点の道で、最初はとろとろ走っている私たちにクラクションを鳴らして怒る車もいました。そんな中でも、夫が車を押し始めると、近くに車を止め、一目散に走ってきて「大丈夫?僕も手を貸すよ!」と言ってひとり、また一人と助け手が増え、夫も含めて4人で車を押しました。

そんな中、目的地が目の前に現れてきました。すぐそこです。しかし、その目的地の手前に、交通量が多い、どうしても渡れない道があり、立ち往生していました。

「どうしよう、このままじゃいつまで経っても渡れない。」
その時です。偶然にも仕事帰りのポリスオフィサーがその道を通りかかり、その反対側の車を止めてくださり、渡りきる事ができました。その光景に涙が出ました。車は無事に目的地に着き、私たちは助けてくださった方々に深くお礼を言いました。

私はその時に、「夫のこの車好きがなかったら、古い車を運転することもなかったし、道の真ん中で壊れることもなかったかもしれない。車が壊れなかったら、人に感謝することもなかったかもしれない。もしかしたら一生こういう経験はできなかったかもしれないな。」という思いになり、全てを用いて私たちに最善の学びを与えてくださる神さまに感謝しました。こんなことが2週間前にありました。

聖書では、夫婦の関係を「夫は妻を教会を愛するように愛しなさい」「妻は夫に従いなさい」と記してあります。私は、その御言葉を実行するにあたり、葛藤がありました。それは、自分の目と知恵で判断する限り、夫の行動に疑問があるときが多いからです。私の考えの方が勝っていると思ってしまうのです。しかも、夫はまだまだ聖書を学び始めたばかり。私の個人的な判断で、自分の成熟度と夫の成熟度を計ってしまっていました。

それが、聖書に書かれている神様のおっしゃっていることと全く別のものと気づかされました。神様は、私に単に「夫に従え」という意味ではなく、「あなたがその事(夫に従う)をすることによってあなたに最善が成されると説いている私(神)を信頼できるか」という意味だったのです。

神様、信仰の弱い私をお許しください。
そうです。神様は、”人間が神の子を十字架につける”人類歴史上最悪の出来事「十字架」を、”全ての人類の罪を解決し、天国への道を備えてくださる”最高の出来事に用いることが可能なお方です。

私たちは神に出会い、キリストに似せられていく聖化の歩みの中でも、残念ながら罪人なことにはかわりません。しかしながら、イエス様は私たちがイエスキリストに希望を置く限り、最善の道を与えてくださる絶対的約束は変わりません。主はそんな私に”私(イエスキリスト)を信頼できるか”と問いかけられました。そして、冒頭で書いた夫にした質問が、今度は私自身にするどく返って来たのです。

この世の中には、たくさんのものが溢れています。その中に私自身の心も知らず知らずに埋もれてしまっていたのです。気づきをいただいた今でも私は、完全にこの御言葉に委ねきることはできない未熟者ですが、その私を深く愛してくださり、数々の経験を用いて、最高の教えを導いてくださろうとする主の愛に満たされた、感謝な夜でした。

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」エペソ人への手紙5:22
2013.04.10 22:26 | 証し
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