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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

沖
去る2013年1月27日(日)、ラスベガス日本人教会で礼拝後の午後1時半から、映画祭「沖縄・最後の絆」が催されました。上映会には83人の方が集われました。

この映画は、実話をもとにして構成されたドキュメンタリー映画であり、主人公の康治(やすはる)と兄・盛勇(せいゆう)の兄弟愛が複雑な時代背景の中で”戦争”に引き裂かれながらも、兄弟愛を取り戻していく映画です。

東江(あがりえ)家は、家族7人で沖縄で平和に暮らしていました。世の中では、太平洋戦争が始まっていました。父は盛勇に、アメリカに行き農夫になる話を持ちかけます。長男であった盛勇は、勉強が得意であり、進学をし、家族を養っていくことを望んでいたので、父に反発をしましたが、家族を養う事を優先的に考え、父の思いをくみ、アメリカ行きを決意し旅立って生きます。弟・康治は、当時10歳、兄・盛勇はもうすぐ20歳を迎えようとしている頃でした。近い将来アメリカと日本が敵国となろうとは、誰も予測もしていませんでした

0130131.jpg(映画上映中の様子)

アメリカに渡った盛勇は、働いても働いても、いつまでたっても収入が上がらない現状に苦しみます。その時に、よそ者としてではなくアメリカ人として名前を”東 フランク”と改名をし、また、生活のためにアメリカ軍に入る事を決意しました。

その頃沖縄では、母が病気で亡くなって数年が経っており、康治も中学生になっていました。日本でも戦争はどんどん酷くなっていき、ある日「日本とアメリカの戦争が始まった」ことをと学校で聞かされます。康治は、アメリカに送られた盛勇が心配でたまりませんでした。そんな中、盛勇からの手紙で盛勇がアメリカ軍に入隊したことを知ります。激しく動揺をする康治は、ますます戦争が激しくなりアメリカを敵と囃し立てる風潮とは正反対に、盛勇のことを思います。ある日、国が中学生を鉄血勤皇隊として徴兵しましたが、康治も自ら志望し入隊しました。敵国のアメリカ兵=自分が愛する兄。戸惑いを打ち消しながら、盛勇のことを忘れる決心をし、戦争に望んだ康治、当時16歳でした。

アメリカでも、盛勇は日本とアメリカが戦争を始めたことを知ります。同じ日本人の仲間の8人と共に送られる場所は、自分の故郷である沖縄でした。自分の国との戦いを強く拒んだ8人でしたが、盛勇は、自ら戦地の沖縄に行き、自分の家族を守ることを心に誓い、戦地に向かいます。

戦争も末期になり、アメリカ軍が沖縄に侵入してきました。戦地に送られた康治は、アメリカ軍と陸戦の中で、親友の死、初めての銃撃戦を経験し、自分も銃撃され負傷をしてしまいます。戦争はまさに地獄図であり、負傷している康治を手当する場所も確保してくれる人は誰もいませんでした。やっと身を寄せられる家族に出会いますが、兵隊として死ぬことが本望と思い、自殺を試みますが、手当てをしてくれた女の人に激しく止められ“家族はきっとあなたを待ってる。”という言葉に目が覚め、康治は生きて家族に会おうと心に決めるのです。

家族に会おうと川岸にたどり着いた康治は、なんとか仲間に発見され、家族との再会が叶います。感動の再会も束の間、康治の怪我は日に日に悪化していきます。そんな時、近所の子から、アメリカ兵の服を着た盛勇に会い、「家族を捜している。」と聞かされるのです。それに希望を抱いた父・盛長(せいちょう)は、地雷が仕掛けてある山々のふもとを降りて盛勇に会いに行く決心をします。険しい山道と命にもかかわる危険な中、アメリカ軍基地にたどりつき、長男・盛勇と涙の再会を果たします。

盛勇は、康治が負傷していることを聞き、すぐ助けにいこうと試みます。しかし、沖縄に来てから、どんなに自分が助けたくても、アメリカ兵である自分を受け入れてくれなかった沖縄の人たちのことを思うと、康治が自分を受け入れてくれるか、不安でいっぱいでした。父の案内により、盛勇たちがやっと康治のもとに着いた時、やはり康治は、下山を拒みました。近寄ってくる盛勇に銃を向ける康治。やさしく言葉をかける盛勇。「ごめんな。康治。。。」康治の中の数々の葛藤が怒りとなり、盛勇に怒りとして向かいました。盛勇は、心いっぱい康治に問い掛けけました。「俺は、おまえの兄ちゃんだ!俺たちの母ちゃんが口癖だった言葉覚えてるか?。。。命は宝。」その瞬間、二人は固く抱き合い大声をあげ泣きました。

0130132.jpg(質疑応答を受ける東フランク氏)

こうして感動と拍手で終えた映画鑑賞でしたが、盛勇こと、東フランク氏は、現在は94歳になり、北カリフォルニアのサンタクララにお住まいをかまえており、この上映会のためにわざわざラスベガスの地まで足を運んでくださいました。映画上映会の後は、質疑応答の時間が持たれ、当時のことを振り返り、質問にも丁寧に答えてくださいました。フランク氏は、あの戦争の後、結婚をされ、アメリカにまた戻り、農夫としてではなく、庭師として働かれます。その時に庭師である雇い主が、宣教師であり、この方にお会いしたことでフランク氏の家族の転機が訪れ、42歳のときにフランク兄弟を最後にご家族全員クリスチャンとなられました。それ以来、主を真ん中にした生活に入ることにより、今まで荒れていた生活が規則正しい生活となり、それが94歳の現在まで続いているそうです。

0130133.jpg(68年ぶりの再会を果たした東氏と宣保氏)

そして、当時 盛勇氏がアメリカ兵として沖縄に到着し、家族を探しているときに、家族のもとに連れて行ってくれた6歳の青年・宜保榮治郎(ぎぼえいじろう)氏が、この映画会で68年ぶりに盛勇氏に会いにいらしてくださいました。映画では、少々脚色されているため、実際とは違ったエピソードがあったということを聞かせてくださいましたが、とてもユーモアのある楽しい方で、大事に心にしまっておられた当時のエピソードを私たちにもお分かちしてくださいました。

当時を生き抜いてきた人々は、ご自身達の意思とは全く関係のないところで戦争の犠牲者となられました。戦争を知らない私達には今のこの時代がどんなに恵まれた時代であるかを思いました。そして、多くの犠牲をともなった苦しい時代の背景にも、神さまの大きな導きがあったことを思いました。映画を通して、フランク兄弟の主にあるお証しの中で生きて働かれる、主を感じられたこと感謝いたします。これからのフランク兄弟とご家族の健康が守られ、兄弟の信仰生活とお働きの上に豊かな祝福が降り注ぎますことを教会員一同お祈りしております。

(LVJCCブログ制作チーム:Sao)

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2013.01.29 22:46 | 教会イベント
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