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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、“望み”ということについて考えてみました。

新しい年を迎え、多くの人々が“望み”を抱いて新年のスタートを切られたことと思います。人間にとって希望を持つということはとても大切なことで、生きるために不可欠な条件だと言えるかも知れません。人間は何らかの希望を持っているからこそ生きていけるのであり、希望がなくなれば自殺を考えるようになります。

医者はよく、「患者の治療に一番必要なことは、患者に希望を持たせることだ」と言います。希望はどんな薬よりも患者の心を健やかにし、病との戦いに勝たせ、医療の効果を上げるからです。希望を持って生きる人の人生は輝いて見え、その反対に、希望を失った人の人生が夕暮れのように見えるのは、希望にはそういう力があるからでしょう。もちろん、誰の人生にも試練や苦難はあります。しかし、たとえいかなる苦難の中に置かれても、本物の“望み”がありさえすれば、人はしっかりと立つことができるのです。

ところが、それ程までに大切な望みでも、願望、野望、欲望、羨望という望みであってはなりません。そういう望みは必ずいつかは消えてしまうはかない望みです。そのような一時的で地上的な望みは、たとえそれを手に入れたとしても、やがて「失望」と「落胆」に変わる時がやって来ます。富や名誉や名声、美貌や若さや健康は、必ずいつか失われる時が来ます。ですから、これらのものに頼るこの世の希望は、人間の能力や可能性に基づくものなので、絶えず、不安が伴ない、やがては失望に終わってしまうのです。

それに対して、本物の“望み” は目先の願望ではなく、遠くを見通した永遠的なものである必要があります。このいつまでも無くならない永遠的な希望を持つために一番大切なことは、その望みの根拠を永遠的なものの上に置くということです。永遠的なものとは神以外にはあり得ません。神のみが永遠性をお持ちであり、この真の神によって抱く望みこそが、決して失望に終わることのない確実な望みなのです。聖書の神は“望みの神”であり、“愛の神”であり、キリストの復活の事実は信じる者を“究極の望み”に満たしてくれるのです。
 
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。 」(ローマ書15:3)
 
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者(私たち)のために死んでくださいました。 」(ローマ人書5:5)。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 」(第一ペテロ1:3、4)


今日の一言: 究極の望みは神から来る


平安
鶴田健次

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2013.01.11 15:13 | 鶴田健次牧師より
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