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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、‘怒り’ということについて考えてみました。

私たちは、あまりにも怒りが大きいとき、自分の感情をコントロールできなくなることがあります。そして、その怒りを誰かにぶつけて相手を傷つけ、また自分も傷ついてしまうということはよくあることです。

そこで今回みなさんに知っていただきたいことは、‘怒り’というのは最終的な感情ではなく、その奥にある感情を感じないための蓋になっているということです。したがって、その奥にある感情を自分で感じ受け止めることで、誰かにぶつけることなく怒りという感情と上手く付き合っていくことが可能になります。

私たちは何もなければ、腹が立つことはありません。怒る時には必ず理由があります。そして、その怒りの奥にまた別の感情があるのです。

たとえば私たちは、「わかってほしい」というニーズが満たされなかったとき、怒りを感じることが多いものです。また、恋人や夫婦の間では、「愛してくれてない」と感じるときに怒りを感じることがあります。あるいは、職場で自分だけ忙しくしてる時にイライラすることがありますが、それは「助けてほしい」という気持ちを誰も察してくれない時に感じる怒りの感情です。ですから、自分の内に怒りが生じた時は、この「わかってほしい」「愛してほしい」「助けてほしい」のうち、どんなニーズが隠れているのか考えてみることです。

‘怒り’は、感情の蓋と言われ、心理学ではこれを‘防衛’と言います。怒っている感情が自分の本当の感情なのではなく、実は本当の感情を感じないための蓋(防衛)であるというのが心のからくりです。つまり、「わかってくれない」「愛してくれない」「助けてくれない」というのは、感情レベルではどんなことを感じているのかというと、そこには「悲しみ」や「寂しさ」があるのです。

人間は感情の生き物ですから、怒りを我慢することは良いことではありません。怒りを抑圧した分だけ、同時に喜びや良い感情も感じられなくなってしまいます。たとえば鬱病というのは、この喜びが感じられない状態なのですが、そうなってしまった原因の多くは‘怒り’を抑圧してきたことが影響しているというのが実態です。

ですから、怒りを感じた時は、その怒りを抑圧しないで、まず怒っている自分をそのまま認めてあげることが大切です。私たちは怒りを感じると、相手を責めると同時に、「こんなに怒っている自分はダメな人間だ!」というように自分のことも責めています。

そんな時は、「そうか、こんなに怒っていたんだ・・」とか、「わかってもらえなくて悲しいよね」というように、まずはそのままの自分を否定せずに肯定してあげましょう。そうすれば、少し怒りが落ち着いてきます。人が「わかってくれない」と思う時、実は自分自身も自分のことをわかってあげていないのです。

ですから、まずは自分がその「怒り」とその奥にある「悲しかった」という気持ちに寄り添ってあげることによって、すぐに怒りをぶつけずに、ニーズを上手く伝えるコミュニケーションができるようになります。

今日の一言: 怒りは感情の蓋

平安
鶴田健次

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2012.10.19 12:56 | 鶴田健次牧師より
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