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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

写真
(聖トーマス教会のステンドグラス)

世界に名を残す偉大な音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハ(J.S バッハ)。バッハは今から330年前にドイツ・テューリンゲン地方アイゼナハに生まれました。バッハの一族は代々音楽を職業とした一族であり、ルター派の敬虔なクリスチャンでした。約2世紀半の間にバッハ家が輩出した音楽家は約60人に達しています。バッハは9歳の時に母を亡くし、10歳の時に父とも死別します。その後、14歳上の兄に引き取られ、その頃から音楽の教育を受け始めました。バッハは非常に勉強熱心で、夜、月の光で兄の楽譜を取り出して、勉強したほどでした。バッハ自身「私は非常によく勉強した。誰でも私ぐらい勉強すれば、私と同じくらいにはなれるだろう」と言っています。

バロック時代の代表的な音楽家としてすぐにバッハの名が挙げられますが、バロック時代以前の音楽の中心は「歌」であり、楽器は「その伴奏」という役割にすぎませんでした。しかしながら楽器の性能と発展と共に、楽器だけでも主役になれる時代がやってきます。それが「バロック時代」であり、その頃、マルティン・ルターによる宗教改革でキリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれた時でした。

マルティン・ルターの新しいプロテスタントの中の「ルター派」は特に音楽を重要視していた派であり、集まった会衆が皆で歌える賛美歌(コラール)を生み出しました。コラールはそれから各プロテスタントの宗派に広まります。

そのような時代背景の中でバッハの仕事は教会や宮廷のオルガニストであり、作品は教会音楽を中心としたものが多く、現在のキリスト教の中にも残されています。18歳の時、バッハはアルンシュタットという町の教会オルガニストとして又、聖歌隊の指導も任されました。この頃から本格的な音楽活動が始まり、32歳で宮廷楽士になり、39歳で聖トーマス教会の音楽監督になり、教会聖歌隊を率いて週1回礼拝でカンタータを演奏し、街の様々な行事にも相応しい音楽を作曲、演奏しました。68歳で天に召されるまでこの職を続けました。

バッハは自筆楽譜の最後に「SDG」というサインを残しました。「SDG」は「Soli Deo Gloria」の略字で「神のみに栄光あれ」という意味です。弟子達に教える時にも、「音楽の目的は第一に神に栄光を帰し、そして、隣人に喜びを与えることだ」と繰り返し語ったと言われます。

生前のバッハは作曲家というよりもオルガン演奏家、専門家として又、国際的に活躍した息子たちの父親として知られる存在でした。しかし没後約80年を経て、メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」のベルリン公演をきっかけに再発見され高く評価をされるようになります。

(LVJCCブログ制作チーム: Kao)

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2015.09.07 00:00 | 信仰者シリーズ
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