LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

img043ah.jpg


升崎外彦は明治25年4月、金沢に生まれましたが、難産だった為、母は出産後「外彦を大源寺の跡取りにしてください」と遺言して出産3日後に命がつきました。

母の遺言により外彦は6歳で寺に入り、7歳で読経を始め、10歳で得度しました。しかし、14歳のころから「人生とは何か?」と悩むようになり、夜も寝ず「南無阿弥陀仏」を唱え、哲学に走り、あらゆる宗教書をむさぼり、真宗・臨済宗・曹洞宗などの名僧に教えを請いましたが、道を得られず、金光教・天理教・御嶽教・みそぎ教など父から厳に禁じられていたキリスト教以外のありとあらゆる宗教を転々としました。ついには絶望して自殺を六度も試みましたが、死には至らず、七度めに周到に準備して金岩海岸に向かう途中、救世軍の路傍伝道に鉢合わせをしました。一目散に駆け寄ろうとしたはずみに電柱に頭をぶつけ、よろめき倒れたその時に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」の聖書の言葉が耳に飛び込み、思わずそこにいた救世軍士官に「僕は疲れ切っています。背負いきれない重荷で押しつぶされそうです。」と訴えたました。士官は単刀直入、「この方以外には、だれによっても救いはありません」とイエス・キリストの十字架の福音を指し示し、外彦は「おお主イエスよ、わたしは信じます。あなたこそ真の阿弥陀仏、生ける如来様です」と叫んで救われた。外彦が16歳の時でした。

外彦のキリスト転向は東本願寺派の大問題となり、「下げ渡し」すなわち、僧籍剥奪・寺門追放となりました。一番苦しんだのは父でした。何とか息子をキリストから離すために、真武館で兄弟子たちと共に外彦を打ち叩いて改心を迫しました。外彦はずたずたの体でも絶えず「主よ、私をあわれんでください。」と主に祈りより、信仰を捨てませんでした。 主が外彦と共にいて下さる約束を放さなかったのです。外彦はすきを見て教会に走り金沢教会で受洗、帰って臆せず父に報告をしたのです。父は外彦を裸にし氷上に投げ飛ばしました。外彦は背に血を流しながら、雪を鮮血に染めつつ正座しゆるしを請いました。

外彦は父の前に出て、両手をつき「私が暫く親不孝になりますことをお赦しください。」と言ったのです。父は刀を杖に、床柱を背にしたまま男泣きに泣いていました。 外彦は、父の悲しみを思うと心が張り裂けそうでしたが、信仰の道のために受ける一切をキリストの故に忍び、一礼をして寺を出ました。

外彦は小松市で伝道した後、救世軍士官学校を卒業、仙台小隊に赴任。ここで悪漢にさらわれた少女をかくまったことからならず者150名によって、こん棒・仕込み杖などによる暴行を受け、ついに手ぬぐいに包んで振り回した煉瓦を後頭部に受け昏倒、余命2ヶ月の診断を受けましたが、名医から手当てを受け、一命を取りとめました。

余命の短いことを告げられた外彦は最も伝道困難な地を死に場所にと考え、出雲に就きました。迫害を受け、村には住めず、住んだ場所は山中の洞穴。これが後にまむしの巣とわかりますが、難はまぬがれました。しかし、石打ちや断崖から投げ落とされるなど何度も生死の境をさまよう危機にさらされました。しかし、迫害の首謀者であった郡会議員がこのころコレラにかかって死にますが、だれも恐れて火葬にする者がいない中、外彦がこれを引き受けたところ、遺族は胸を打たれ、一家でキリスト教に入信しました。これらのことがきっかけになり外彦は地域に受け入れられるようになり、彼は村人の共同作業を奨励し、農村副業を教え、信愛産業組合、禁酒会などを起こしました。また、後援者の協力を得て幼稚園、実科女学校、病院を設立。立派な教会を中心に、村は富み、ある新聞はスコットランドの宗教村のようと評したと言います。救世軍から転任の辞令が発令されたときには、郡長と3ヶ村長が連名で救世軍指令官に留任を求めたが認められなかったという話も残されています。

外彦が出雲在任中に、外彦の父は我が子をキリストから取り戻そうとキリスト教の弱点を探すことにしました。聖書を注意深く読んでいたので、最初の4章を読むのに3年かかりましたが、ついに新旧66巻の聖書を何度も読み返し、また救世軍司令官山室軍平の名著「平民の福音」をぼろぼろになるまで読んだのです。父が驚き怪しんだのはイエス・キリストの人格でした。「人にして神、神にして人なるキリスト、我が日夜尊崇しまつる親鸞上人とは比較にならぬ、是は一介の僧侶、彼キリストは正に神の独り子」と悟ったのです。「キリスト神ならば御姿を現したまえ」と父は21日の間、食を断ち、臥竜山鶯滝に水垢離を試みました。厳寒の2月、父65歳の時でした。21日めに滝から上がって岩の上に座し、掌を合わせて念じていると、白衣のキリストが彷彿として現れたと言います。父は外彦を招いて詫び、和解しました。71歳で召される際には、枕頭にいた外彦に「外彦、お前はいいものを見つけたのォー。 外彦、礼を言うぞ、お前は俺を天国の特等席に案内してくれた大の恩人だ。 外彦、礼を言うぞ。」と言いました。2時間後けいれんがを起こると、手を挙げて「外彦、外彦、出雲へ帰れ。 キリストのために働いて死ね。」と叫びつつ安らかに神の御国へと旅立ったのです。

農村伝道に使命をもつ外彦はやがて救世軍も去り、盟友賀川豊彦の依頼により昭和2年、紀州南部に赴きました。ここで労祷学園を設立、漁村民と共に生活をして社会教育と伝道活動を行い、生涯をキリストに仕える者として生きました。

(LVJCCブログ制作チーム:kao)

ブログランキングに参加しています。クリックで応援してください。
2015.09.21 00:00 | 信仰者シリーズ
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.