LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

z-adversity.jpg

今日は、‘逆境’ということについて考えてみました。

木の切り株を見ると、年輪がその木の樹齢を刻んでいますが、人間も歳を取ることを‘年輪を加える’などと形容します。これは木の年輪から来ています。

ところで、山にある木の切り株の年輪の中心は、真ん中でなく、北側に片寄っているのをご存知ですか。それは、日光と南風を十分に受けて育つ南側は年輪の目が幅広くなり、それだけ肉付きがよく成長するからです。反対に北側は、寒さから身を守るために、厚い皮をつけて戦います。したがって、年輪の目が幅狭く、中心がそちらに片寄るのです。

ところが木が伐採され、用材として製材されるとき、太陽の光を受けて育った南側の部分は板になり、北風を受けて育った部分は柱になります。柱は家を建てる際に、最も重荷がかかり、大切な部分となります。材木でも、逆境で苦労して鍛えられてこそ、柱という大切な部分に用いられるものになるのです。

人生には、浮き沈みが付きものであり、順境もあれば逆境もあります。人は、誰も逆境や試練の中を通ることを望みません。しかし、人生は長い目で見れば、むしろ順境よりも逆境の苦しみの方が、私たちに益をもたらすことが多いのではないでしょうか。

かつてイスラエル王国に黄金時代をもたらしたソロモン王は、イエス・キリストをして‘栄華を極めた’と呼ばれた人ですが、その人生の晩年に、聖書の中に次のような言葉を記しました。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 」(伝道者の書7:14)
 
人生の逆境は、その逆境の中で今までの自分の歩みを反省させ、人生を深く考えさせるための大切な機会であり、愛なる神からの贈り物なのであるという意味の言葉です。人は、繁栄や順境の中では、自らを誇ったり、傲慢になって、他者を思いやる心を失いがちです。そういう人は、人の言葉に注意を払わず、道を踏み外して暴走し、やがて人生の行き詰まりを経験することになるのです。そして、ようやく、そこで初めて、自分自身を省み、人生の建て直しをすることができるのです。

「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)

この詩篇119篇の作者と同じように、あなたも「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした」と言い得る日が来ることを信じて、今の試練を乗り越え、逆境を意味のあるものとして生かしてください。

真摯な心で聖書を開き、そこで示された神の言葉に従順に従うなら、どのような絶望的な人生を送っている人でも、真の希望を見出すことができます。そして、今の試練は、これからの人生に決して無駄になることはないのです。

今日の一言: 逆境は人生の宝

平安
鶴田健次


ブログランキングに参加しております。
クリックで応援してください。
2012.03.26 16:03 | 鶴田健次牧師より
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.