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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」
ヘブル人への手紙11章1節


約1ヶ月前に、私の兄が天に召されました。兄は9年間の闘病生活でしたが、その中で私はクリスチャンになり、兄もまた天に召される5ヶ月前に主を受け入れて救われました。

私がクリスチャンになってから、いつも私の祈りの中に兄の祈りがありました。約7年間、毎日のように兄の事をお祈りしていましが、天に召された後、「あーそうか。もうお兄さんは天国にいるのだから、お祈りしなくてもいいんだ」と気がつきました。兄が天国にいる事は大きな平安であり、喜びですが、喪失感を感じることもあります。

兄が天に召されてから、天国について考える時間が増えました。兄の為にもう祈らなくてもよいというのは淋しい気持ちでした。しかし、今は天国という何の欠けもない完全な場所でイエス様と共にいる兄の嬉しそうな顔を思い浮かべたとき、私の心は平安で満たされました。

また、以前は天国に行くということが何か遠い話に感じておりましたが、今はもっと現実的な場所になりました。といのは、私は自分が存在し生きている場所を基準に考えていたわけですが、聖書で言われている「わたしたちは旅人であり寄留者である」という御言葉は、天国を基準に考えたときに生まれてくる言葉であるということが自分のものとして与えられたからです。自分が今、この地上で生きているように、兄も今、天国で生きているという事実。でも、この二つの場所は決して共存する場所ではなく、天国はイエス・キリストにあって地上生活を終えた人々だけが行ける場所なのです。

「死」を迎えることによって地上生活を終えますが、そのとき見送る側は、そこでその人の存在が無くなってしまったような錯覚に陥ります。しかし、実際に肉体は滅んでいますが、その人の霊魂は生きているのです。目に見える一時的な現実の世界では無くなってしまったように感じますが、今はまだ目で見ることができない永遠の世界では確かに生きているのです。

ですから私の中で兄の死は、「兄の地上での生活は終わりました。でも今は、天国で神様と共に至福の生活を送っています。天国は言葉に表せないほど素晴らしく、兄はこの素晴らしい所で永遠に生きています。神様、兄を天国に入れてくださって本当にありがとうございます。ハレルヤ」という感じに変化しました。

私達クリスチャンは信仰によって救われました。「信仰は目に見えないものを確信させるもの」とあります。イエス様も天国も私たちの肉眼では見えません。しかし今、自分が生きている周りにあるものは見えます。だから、目に見えているものだけがすべてであるいう錯覚に陥ってしまいますが、目に見えない神様を信じることで、やがて来るまだ見えていない永遠の世界が少しずつ心の目で見えるようになるというのは実に不思議な事です。そして、いずれこの永遠の世界が必ず来て、そこで生きるようなるのです。これが信仰の世界の原理なのです。

永遠の天国を思うとき、心に平安が与えられます。それは、私達の心にすでに天国が与えられているからだと思います。私は一人でも多くの方に天からの信仰が与えられ、主イエス様によって永遠の命、永遠の天国が与えられることを心から願っています。

(LVJCCブログ制作チーム:薫)

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2012.03.09 20:56 | 証し
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