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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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子供たちによるクリスマス劇

2011年、今年のクリスマス礼拝は12月25日に行われました。神の御子イエスのご降誕を祝い、愛する神の家族と共に主を礼拝できたことを心から主に感謝します。クリスチャンにとってのクリスマスがどんなに大きな恵みであるかを覚えながらの賛美は、また一段と心に響くものがありました。教会堂に飾られたクリスマスツリーを前に主に捧げる礼拝は、聖霊の臨在の中で、実に感謝に満ち溢れる特別なものでありました。

礼拝後には、美味しいポットラックと共にクリスマスパーティーが持たれ、楽しいひとときを過ごすことができました。石原兄弟のお二人のご子息によるミニ・ギターコンサートと、面白クイズ(商品あり)、プレゼント交換などが盛りだくさんでした。
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ミニコンサート

そして、この記念すべきクリスマス礼拝にて、石原真一郎兄弟の洗礼式が執り行われ、新しい家族が加えられました。石原兄弟ご自身により、救いへの経緯を書いてくださいましたので、ここに掲載いたします。
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イエスキリストの御聖誕祭、クリスマスという素晴らしい日に、洗礼を受けさせて頂けるという恵みに、心より感謝申し上げます。

先日教会ブログに私の証を書くようにという連絡を頂き、その場では承諾したものの、失敗と不義理の連続、恥じ入ることだらけの自分の人生の事まで書かないといけないのかな。知っている人に読まれたらヤバいななど、思い迷いましたが、ここは主にお任せしようと思って書かせて頂きます。

私のキリスト教との初めての出会いは、小学校5年生の頃、ラジオで聞いた「ルーテルアワー」という番組でした。「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」。聖パウロの言葉により
というアナウンスが印象的で、通信教育により子供向けの聖書講座を終了しました。教会に行ってみたいと思いつつ、鹿児島の田舎で近くに教会はなく、そのままになってしまいました。

高校3年の卒業間近のある日、路傍伝道している女性に出会い、待ってましたとばかり、その教会に通い始めました。その教えは讃美歌から始まり、聖書をもとに講義が進み、卒業後、そのまま東京にある教会の学生部に入り、12年間その教会で過ごしました。しかし私の個人的な劣等感、自己嫌悪などの悩みは解決されないまま、また私の素行の悪さのゆえに、半ば追い出されるように教会をやめ、その後、酒びたりの自堕落な生活に、のめり込みました。

あるきっかけで渡米し(15年前に)ラスベガスに移り住み、当然のごとくギャンブルにはまり、妻子を苦しめ、友人達にも迷惑をかけ通しの15年を過ごしました。また、仕事上、ルール無用のタクシードライバーとのけんか、紙面に書けないような酔態、さげすみ等々、精神面、経済面でのどん底の時に、ラスベガスアイズを手にし、最後のページの「すべて重荷を負うて苦労しているものはわたしのもとに来なさい」という聖句が目に飛び込み、胸にせまるものを感じました。しかし、以前にもっていた宗教のこともあり、なかなか敷居が高く、今年7月、やっとの思いで教会の戸をたたきました。

鶴田牧師のお話を聞き、教会メンバーの方々との交わりの中で今まで感じたことのない喜びと、自分は変われるかもしれないという手応えを感じました。ただこれを信じることは、以前に信じていた、あるいは今でも完全には否定しきれていない教義を捨てることを意味します。親友、恩人の方々との決別、もしくは対立の可能性も出てきます。なぜならその教義は、
① マリアの聖霊による懐胎
② イエスの十字架による完全なる救い
③ キリストの栄光のからだによる復活
のいずれも否定するものだからです。

これらの葛藤の中で、もう一度聖書を一句一句読み進み、入門コースの学びの中で、かつての教えはキリスト教を真っ向から否定する教理であることに気づかされました。私の理解では、十字架による救いとは、霊的救いのみであり、メシヤはもう一度、霊肉共の救いのために、女の腹から生まれなければならない。今がその時である。一度死んで腐敗した肉体は生き返ることはない。ゆえにキリストの復活は、霊によるものであるという考えです。

しかし、「あなたがわたしに行かせるためにお与えになったわざをわたしは成し遂げて地上であなたの栄光を現しました(ヨハネ17:4)」とイエスは言われ、まだやり残したことがあるとは言われておりません。

また、「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわってよく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています(ルカ24:39)」と、パウロは、死者の蘇り、キリストの復活がなかったとすればクリスチャンは神に対する偽証人となってしまうと言っています。

私がかつて信じていたものはキリスト教、聖書とは根本的に異質なものであったと、自分なりに、結論を出しました。キリストを信じる者として、まだやっと入学式を迎えただけの私ですが、一方的な赦しの中で、自らの罪と闘いつつ、いつか卒業証書を頂ける日を望みつつ歩ませていただきたいと思います。これからも皆様のご指導をよろしくお願い致します。

「わたしを見て信じたのか。見ないで信じるものは幸いである。」ヨハネ21:29


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石原兄弟、お証しをありがとうございました。

兄弟をこの教会に与えてくださったことを心から主に感謝します。このお証を書くにあたり、葛藤があった中での主にゆだねようとなさったお心に感動いたしました!きっと神はそんな兄弟の心を最高にお喜びになっていることでしょう。

石原兄弟のこれからの信仰生活が神様への喜びで満たされ、神の栄光が輝きますように。アーメン

(ブログ制作チーム: Sao)


2011.12.28 12:49 | 洗礼
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