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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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2011年2月6日の礼拝で、ペギー姉妹がめでたく洗礼の恵みにあずかり、神の子となられました。本当にこの事を嬉しく思います。なぜなら、私たちのスモールグループにペギーさんが来られるようになり、今日のこの日まで、どのようにしてペギーさんが導かれ、変えられ、イエス・キリストを救い主として心から信じることができたのかという感動的な瞬間を見たからです。では、神様が少しずつペギーさんの心の中に触れてくださったかをこれからお話したいと思います。

サザンハイランドのスモールグループにペギーさんが来られたのは去年の11月頃でした。最初ペギーさんは、昔に洗礼を受けたことがあると言っておられましたが、「私は罪など犯していない」と仰ってましたので、スモールグループではあまり聖書の難しい学びではなく、「モーセの十戒」や「神の愛」など、比較的分かりやすいものを選び学んでいました。しかし今年に入り、中断になっていたガラテヤ書の学びが再開され、この学びを3週間続けていく中でペギーさんが毎週変わっていく姿を見ることができました。その学びとは・・・・

1週目には、「十字架を仰ぐ経験の大切さ」について学びました。「十字架の意味」や「なぜ十字架を仰ぐことが大切なのか」を話し合いました。それは、十字架を見上げればイエス様が私たちの罪のために死んでくださったことを知ることができるし、それは「神様の愛」そのものなのです。そして十字架を理解することにより神の義を知ることができます。十字架が原点であることを学びました。

2週目は、、御霊の恵みの経験について、「御霊とは何か」ということを話し合いました。御霊が私たちの内に働き、教え、とりなし、導き、命を与えてくださり、また、罪を教えてくださる認罪の霊といわれていることや、人はイエス・キリストを信じる信仰によって救われ、決して行いではないことを学びました。

3週目は、アブラハムの信仰について話し合いました。「神はアブラハムを義と認められた」というところから、神の義について話し合いました。神の義とは、神の完全な正しさであり、「義」という意味は、神の要求に適合すること。聖書がいうところの「罪」は、私たち人間は神の要求に適合しないこと、また、人間が神から離れ自己中心になる、といっていることを話しました。しかし、イエス・キリストを自分の救い主と信じたならば、救われ、また御霊が与えられ、私たちは神から正しいと認められる(信仰義認)。そして永遠の命が与えられる。

この学びを終え、一人ひとり祈るときに、ペギーさんの番になりました。ペギーさんは、涙を流して祈られ、「今、本当のことがわかった。私は全て自分で成功をなし、全ては自分の力だと思っていたので、私は私を崇拝していた。しかし私は間違っていた。私をここまで導いてくださったのは、神様だった。」そのように悔い改めの祈りをされました。その瞬間に、聖霊様がペギーさんの心に触れてくださり、ペギーさんが神様とつながった感動的な瞬間を、スモールグループに参加していた一人ひとりが見ることができたのでした。イエス様を心から信じ受け入れた瞬間でした。

聖書勉強を通して神の御言葉を学び、神の御言葉には力があることを見ました。そして、御言葉により神の義を教えていただき、永遠の命という恵みが与えられ、喜びと平安でペギーさんの心が満たされました。これは、神様の御業と言わず、何と言えるでしょう。

主の御名は、ほむべきかな・・・

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(サザンハイランド・スモールグループ: ケイ Sorentino)

2011.02.11 00:00 | 洗礼
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