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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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今日は、クリスチャンの成熟ということについて考えてみました。

「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)

ヤコブは、私たちがただ神の御言葉を聞くだけで、それを行なわず、それによって自分が変ろうとしないことは自己欺瞞であると言っています。私たちは、御言葉の知識を身につけることが自分を霊的に成熟させることと思いがちです。しかし、霊的に成熟していることの尺度は知識ではなく品性です。多くの人がたくさんの聖書知識を持っていますが、彼らの多くが霊的には小人です。

霊的な成熟に関する最も簡単な定義は、“御言葉を行う人である”ということだと思います。私たちは神の言葉である聖書の教えを実際に行なう必要があります。それを生活の中に絶えず適用させ、それによって私たちの内に聖霊の働きによる御霊の実(愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制)を結ぶ必要があるのです。これらの九つの御霊の実はクリスチャンとしての品性です。

また、もし私たちが聖書の御言葉を忠実に行なうなら、私たちは聖霊の働きによる聖化の歩みをしていきます。この聖化の歩みとは、私たちが少しずつ“栄光から栄光へと主の似姿に変えられていくこと”です。“主の似姿に変えられる”ということは、キリストの品性を持つ者となるということです。それがクリスチャンとしての成熟さを表すものだと言えるでしょう。

実際、知識が増せば責任も増します。多くのことを知れば知るほど、私たちには責任が与えられます。私たちは、自分が知っていることをどれだけ実行に移しているでしょうか?イエス様は、「多く与えられた者からは多く求められる(ルカ12:48)」と言われました。

マタイの福音書7章を見ると、二つの家と二つの土台に関するイエス様のたとえ話が記されています。イエス様は、神の言葉を聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができ、また神の言葉を聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができると言われました。人生の嵐や洪水が押し寄せてきたときに、その人の生き方の尺度である成熟さが明らかにされるのです。

イエス様は、ヨハネ13:17において、「もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである」と言われました。つまり、クリスチャンとしての成熟の定義は、御言葉を行なう人であるということです。御言葉を読むだけでなく、御言葉を心に留め、それを行なうことが大切なのです。

私たちクリスチャンのすべてが、実際に行なっている以上の霊的真理を知っています。私たちにとって必要なことは、これ以上の霊的真理を知ることよりも、既に知っていることを実行することではないでしょうか。

皆さん、御言葉を行なう人になりましょう。

今日の一言: 霊的成熟さの尺度はクリスチャンとしての品性

平安
鶴田牧師

2010.10.12 12:00 | 鶴田健次牧師より
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