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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

牧師室より#389「主に感謝せよ」_convert_20180609002910 


『主に感謝せよ』



日本が生んだ偉大なキリスト教思想家・内村鑑三は、「いくら理解心が豊かで、熱心な行動をしたとしても、神様に向かって熱い感謝を捧げない人には命のある信仰生活はない」と言いました。


感謝は、神様に信頼することであり、神様を喜ばせ、神様との関係を正しくします。ですから、私たちは神様に感謝をする生活をしなければならないのです。私たちが感謝する時、私たちの心は肯定的になり、心が嬉しく、幸せな思いに浸ることができます。


 もし私たちが、“ありがとう”と心から言えれば、私たちの心は温かくなり、気持ちのいいものです。そして、温かい気持ちになれた時は幸せを感じます。ですから、感謝をする機会が増えれば心が温かくなる機会も増えるので、感謝できる事柄を探すことによって幸せを感じる時を増やすことができます。


 そこで、感謝の機会を増やすには、感謝をする機会を減らしてしまう要素を知っておくことも大変重要です。なぜなら、それらの要素を知らないために、多くの感謝すべきことを感謝せず、幸せな気分になる機会を逃してしまうからです。


 では、感謝をする機会を減らしている要素とは何でしょう。それは、当たり前という捉え方です。「○○して当たり前」、「○○するのが当然」という心があれば、感謝する機会がなくなります。というよりもむしろ、すぐに不平不満を口にするようになります。


 例えば、親子関係であれば、「ご飯を作ってくれて当たり前」、「めんどうをみてくれて当たり前」というものがあります。そういう状態は赤ちゃんの時から当たり前のようにあったことなので、その有難さに気付かないのです。


 また、私たちの人間関係においても、「連絡をくれて当たり前」、「話を聞いてくれて当たり前」、「私の為にしてくれて当たり前」などと思っていると、人は自分の願いどおりにしてくれるとは限らないので、すぐに不平不満を言うようになります。


 職場の人に対しても、友人に対しても、また教会の中でも、このような決して当たり前でない事を当たり前と思っていると、せっかくの感謝の機会を失い、幸せを感じる機会を自分から捨てていることになるのです。 

    

 皆さんは如何でしょうか。以前から当たり前のようにあるものが、決して当たり前ではないのだという心で周りを見直してはいかがでしょう。どんな事に関しても、この当たり前という捉え方をしなくなれば、感謝の思いが湧いてきます。


 あるクリスチャンの中年のご婦人が、毎朝、「神様、私にこの夫を与えて下さって感謝します」という祈りをするようになってから、自分の心が感謝と喜びに満たされるようになったという証をしておられました。


新婚当初ならばともかく、長年連れ添うと、私たちはそういう感謝の祈りをしなくなります。それどころか、「神様、この妻をもう少し何とかして下さい」とか、「神様、私の夫が、ちゃんと心を入れ替えるようにして下さい」とか、そういう祈りは時どき聞きます。


 しかし、「神様、私にこの夫を与えて下さってありがとうございます」「神様、私にこの妻を与えて下さって感謝します」という祈りができれば、それだけで、その人の人生は変わるのではないでしょうか。


 クリスチャンの中には、神の子キリストの命が犠牲になって与えられている救いの恵みにすら、あまり感謝をしていない人がおられます。それは明らかに大きな問題です。


 私たちの周りには、ちゃんとした心で見さえすれば感謝すべきもので溢れています。感謝すべきものを感謝すべきものとして見れなくなると、喜びのない人生を送ることになります。末期癌の宣告を受けている人が感謝と喜びの生活を送っていて、五体満足な人が不平不満ばかりを言っているとしたら、それは一体どこに問題があるのでしょうか。


 生まれつき目の見えない小学生の子供が、こんな作文を書きました。


 「もし僕が24時間だけ目が見えるようになったら、まず朝からお昼まで、お母さんのそばにいて、僕にいつも優しくしてくれるお母さんの顔をずっと見ていたい。それから、僕は、家にいる犬と猫を見て、空を飛ぶ鳥を見たい。そして、自動車や飛行機を見て、出来ればきれいな虹を見たい。夜になったら星空をずっと見ていたい。24時間が過ぎたら、また元のように目が見えなくなってもいいから、一日だけでも目が見えるようになりたい。」


この子供のように、ある人にとっては、一日だけ目が見えるようになるということが、残りの生涯をすべて犠牲にしてでもいいからそうありたいと願うほどに重要なことである場合があります。


しかし、その人がそれほどまでに切望することを、私たちは当たり前のように思って生きています。いや、当たり前どころか、しばしば不満さえ口にすることがあります。私たちは一体どこを見ているのでしょうか。


私たちは、もう一度、神様が与えておられるすべてのものに対する認識を新たにし、そのすべてを感謝できるように、心のアジャストメントをしたいと思います。



今日の一言: 私の周りは感謝すべきもので満ちている



鶴田健次



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2018.06.16 03:49 | 鶴田健次牧師より
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