LVJCC Blog

ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

ojiityan1.jpg 

先月末から約2週間程、日本に帰国しました。
大きな目的は幾つかあったのですが、その内の1つが、2月末に夫という半身を失った祖母との時間を持つためでした。

94歳になる祖母は、私の母の父(最初の夫)と結婚するも、その夫は結婚後数か月で戦地へ赴き、戦死しました。母は血の繋がった父を知りません。
夫を失った祖母は、学校の先生をして自分の親や母の生活を支えていたようですが、母が6歳の頃、祖母より1つ年下で初婚だった私の祖父と再婚したそうです。
熊本県天草という田舎町でのことでしたし、戦後男性が少ない状況下、その結婚は歓迎されるものではなかったようですが、祖父は祖母と母とを守り育ててくれました。

真っ直ぐで、口数は少ないけれど優しく、少しオッチョコチョイな祖父は私の宝物でした。長期の休みには、3時間かけてバスで祖父母の家に遊びに行ったり、祖父母が家に泊まりに来てくれると、必ず祖父母のお布団に潜り込み、むりやり一緒に寝てもらっていました。
私が10歳頃だったでしょうか、「Kちゃん、あのね。お母さんの血の繋がったお父さんは別に居たんだよ」と母や私たちとの関係を説明してくれたのも祖父でした。私は「ふーん。(So What)」と答えたように覚えています。
その後も、祖父との関係は何も変わらず、いつも笑顔で見守ってくれる優しくて強いお爺ちゃんでした。つい5年程前まで、2-3年に一度、一緒に海外旅行に行ったり、私に会いにアメリカまで来ていた程、お爺ちゃん・お祖母ちゃんっ子な私を可愛がってくれていました。

そんな祖父ですので、自由奔放な母のこともとても大切にし、祖母の必要は全て祖父が満たしていましたし、全身で守ってくれていました。長年祖父母2人で住んでいた天草を約2年ほど前に離れ、私の両親の元に引っ越し、最期を迎えると決めたのも祖父でしたし、引っ越しの手配や手続きも全て祖父が進めました。要求の多い祖母をなだめて、ただひたすら引っ越しを無事に終える事に注力し、祖母を新しい生活に慣らさせることにも気を使っていました。亡くなる前も祖母に「分からない事があったらM(私の姉)に何でも聞いて、やってもらいなさい」と何度も何度も言ったそうです。

癌を宣告されて亡くなるまで8カ月間あったとは言え、約70年間そばにいて守ってくれていた半身を失った祖母はどうしてるか心配でしたので、できるだけ頻繁に祖母にLineをしたり、母や姉に連絡して祖母の様子を聞いたりしていました。その様子から「祖母は明らかに混乱している・・・」と思い、実家に向かいました。

外交的で話好きな祖母ですので、帰宅早々から色んな話をしてくれました。多くはアメリカからのLineで聞いていた内容と同じでしたし、祖母の中に「怒り」があることも気付いていましたので、その「怒り」を祖母がReleaseできるように祈りながら話をしました。できる限り、祖母と食事、家事、家庭菜園作業等をしながら、祖父との思い出話を聞いたり、私の中の祖父母との思い出話をしたりしながら、共に大笑いしたり、泣いたりしました。

実家滞在中後半に、仕事で参加できなかった父以外の家族全員で、祖父母が住んでいた天草に行きました。車中も祖父母との思い出話、特に祖母がどれだけ祖父を困らせていたか、どれだけ私たちが祖父を大好きだったか等を祖母に伝えるように、面白可笑しく話し、大笑いしたり泣いたりしながら3時間を過ごしました。滞在中は、祖父母が長年住んでいた家を買ってくださった方の旅館に宿泊し、昔の祖父母の家を見る時間も与えていただきました。その旅館の方が「あの家は多くの人が集まる家でしたので、何か皆さんが集まってくださるような場所にしたいと思って2年後を目途に動いています。」と言ってくださったり、地元の方々が祖母を訪ねて来てくださいました。

とても短い滞在でしたが、多い時には睡眠薬を3錠も服用していた祖母が「天草に行ってからよく眠れるようになった」と言ったり、「おじいちゃんがいないとやっぱり寂しい」と口に出せるようになりました。天草に行く前に何度も「おばあちゃんコーラス仲間の方とランチしたりする時間必要なんじゃない?」と聞いても「No」と否定し続けていた祖母が、「〇〇さんと、熊本市内のホテルで待ち合わせして泊まりがけで遊びに行こう!って約束したよ」と言うようにもなりました。

遂には、姉が何度か教会に一緒に行くように誘ったにもかかわらず「よか。行かん(標準語で、「必要ない、行かない」)」と言っていた祖母が、私の帰国直前の日曜日には姉と私と共に教会に行きました。(と言っても・・相変わらず頑なな態度ではありましたが(苦笑))

祖父母を中心に家族が集い、祖父の事を話すことができたことで、家族全員が祖父の死をもう1歩進んで受け止めることができたと思います。このような機会を与えてくださった主に感謝します!

祖母は、毎日祖父の事を考えていると思います。私たちの神を信じる祖父母ではありませんでしたが、神がこの2人を合わせてくださったと私は信じています。半身を失った祖母の気持ち全てを理解することは私にはできませんし、癒すことも私にはできません。
ですが、祖母の癒しと、祖母がちゃんとイエス様を知り、救い主と信じることができるように!と祈ることができます。そうすれば、イエス様が祖母を癒してくださるのですから。

私たちの教会でもこの1か月でお二人の姉妹の半身が天に召されました。
いつも共に居た半身を失うその悲しさ、寂しさを完全に知り、理解する事は出来ませんが、半身を失われたお二人とご家族の癒しをお祈りしたします。


神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるか見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。
神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨を一つ取り、そのところの肉をふさがれた。
神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女を造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
(創世記2章18-24節)

(KS)

ブログランキングに参加しています。下記のアイコン「キリスト教」「人気ブログ・・・」をクリックで応援していただきますと幸いです。FBをお持ちの方は、よろしければ「いいね」と「シェア」のクリックもお願い致します。

✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨👇✨✨


2018.04.17 05:41 | その他
| ホーム |

FC2Ad

当教会は福音的プロテスタント教会です 統一協会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教でお困りの方はご相談ください

当ブログへのリンクや画像・文章等の転載については事前にご連絡ください

新改訳聖書(c)新改訳聖書刊行会

新共同訳聖書(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

口語訳聖書(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1954,1955

Copyright (c) 2008-2013 LVJCC Blog All Rights Reserved.