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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

後編・神の国へのジャーニー 



前編に引き続いて後編をご紹介します。 前編ではお母さんのミシェルさんとその娘さんでシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)という不治の病を持つジュリアナちゃんとの会話の内容などをご紹介しました。 前編はこちら


私事ですが、2018年の3月に娘が生まれます。 もし、自分の娘が同じような病気を持ち、または、違う病気を持っていると想像した時に、彼女の永遠の幸せを願って、聖書の中に出てくる本当の全知全能の神様にお祈りをする自分の姿が容易に想像できます。 ただし、忘れてはいけないのは、神様にも御自分の計画があり、それらを私の祈りよりも優先されるということです。


ここで、聖書の内容に戻って話をしていきます。 これから掲載する文章はあるウェブサイト(以下にリンクがあります。)の見解であり、それを一部抜粋して載せています。 また、これはクリスチャンの総意ではありませんし、このラスベガス教会の総意でもありません。 あくまで、一見解を紹介しているにすぎません。



キリストの死は、すべての人類にとって十分なものとして提示されました。Iヨハネ2:2には、イエスは「私たちの罪のための ― 私たちの罪のためだけでなく、世全体のための ― なだめの供え物です」 と書かれています。この節から、イエスの死がすべての罪、つまり信仰をもって主のもとに来た人たちだけでなく、それ以外の人の罪のためにも十分であることが明らかです。キリストの死がすべての罪のために十分であるという事実は、神がその支払いを信じる能力を持つことのできなかった人々のための支払いに当てられる可能性があることを示しています。

ほかのどの箇所にも増してこのことに同意すると見られる箇所は、IIサムエル12:21-23です。この箇所の物語は、ダビデ王がバテシェバと姦淫を犯し、その結果彼女は妊娠します。主は預言者ナタンを遣わして、ダビデの罪のために主は子どもを死によって取り去られると伝えさせます。ダビデはこれに子どものための嘆きと悲しみと祈りによって応答します。
しかし、一旦子どもが取り去られると、ダビデの嘆きは終わります。ダビデのしもべたちはこれを聞いて驚きます。彼らはダビデ王に言いました。「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食して泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」ダビデの答えはこうでした。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」
ダビデの答えは、信じることのできなかった者は、主にあって安全であることを暗示しています。ダビデは、自分は子どものところに行くことができるが、子どもを自分のところに連れ戻すことはできないと言いました。また、同様に大切なことは、ダビデがこのことに関して慰めを得ているように見えることです。言い換えれば、ダビデは子どもを連れ戻すことはできないが、自分が天国で子どもに会うだろうと言っているようです。

神がキリストの罪の贖いを、信じることのできなかった人に適用するということは可能ですが、聖書には神がそうされるとは特に言われてはいません。ですから、この問題について私たちは頑固になったり、独断的になったりするべきではありません。神がキリストの死を、信じることのできなかった人々に適応するというのは、神の愛とあわれみにかなっているように思われます。私たちの立場は、神がキリストの罪の贖いを小さな子どもたちや精神的な障害をもった人たちに適応されるというものです。
なぜなら、彼らは自分たちの罪深い状態や自分たちには救い主が必要であることを理解することができないからです。しかしまた、私たちは独断的になることはできません。ただ、次のことは確かです。神は、愛に満ち、聖く、あわれみ深く、正しく、そして慈悲深い方です。神のなさることは何でも、いつも正しく善なのです。



以上がそのウェブサイトの見解でした。 ダビデはどういう人物で、どういう信仰をもってそんな事を言ったのでしょうか? ダビデは死後の世界についてどう考えていたでしょうか?


この見解をご紹介する前にも説明したとおり、これはクリスチャンの総意ではないので、これが正しいかどうか自分もわかりません。 しかし、最後にありました「神は、愛に満ち、聖く、あわれみ深く、正しく、そして慈悲深い方です。神のなさることは何でも、いつも正しく善なのです。」という部分は私も同意するところです。

それでは、ジュリアナちゃんの場合はどうでしょうか? ジュリアナちゃんは若干5歳にして、病院で治療を続けるのではなく天国へ行きたいと決めました。 彼女の両親が夢物語を言って聞かせたから、彼女はそれを信じてしまったのでしょうか? 天国は本当にあるでしょうか? それとも無いでしょうか?

聖書はあると言います。 それも全知全能の神様によって創られたとあります。 その神様自身もまた、私が創ったと宣言しています。 ただし、天国に行くための方法は神様が聖書の中で示した方法でのみによってでしか行くことができません。 自分の努力や道徳的な価値観で天国に入ることもできません。 なぜなら、天国は神様の国で、神様の方法で神様の許可を得なければ入ることができないからです。


今日も世界のどこかで聖書の事を知らずに亡くなる方々、また聖書の事を信じずに亡くなる方々がいます。 老若男女を問わず。 その中には自分のこれから生まれてくる子供も含むかもしれません。 前編でご紹介したジュリアナちゃんとその両親のように、私は私の子供の父親として、娘の死を前にして何がしてあげられるのか、自分とジュリアナちゃんの両親とを重ねて考える機会になりました。


今回のブログ内容はクリスチャン、クリスチャンでない方へ疑問を投げかける形となりました。 また、自分にとっても、ジュリアナちゃんのことについて考える事になりました。 ジュリアナちゃんが本当に天国で神様と一緒にいられることをお祈りいたします。


アーメン (KM)



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参考


赤ん坊や小さな子どもたちが死んだらどうなるのですか?聖書のどの箇所で責任をとるべき年齢があると言っていますか?”, (n.d.). Retrieved January 14, 2018, from https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-age-accountability.html

2018.01.18 15:00 | その他
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