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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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  「贖い」という言葉はクリスチャンがよく使う言葉ですが、意味の説明を求められるとクリスチャンの中にもちゃんと説明できない方が結構たくさんおられるようです。「贖い」というのは、もともとは「代価を払って買い戻すこと」を意味します。

  人間はアダムの堕落以来、サタンの支配下に陥り、罪の奴隷として罪に縛られながら生きる者となりました。そのために人間は初めから罪人として生まれ、その罪の性質を持っているがゆえに当然のように罪を犯してしまう存在なのです。またさらに、サタンがさまざまな誘惑と惑わしによって人間に罪を犯させようとするため、その誘惑に応じてしまうのが罪人である人間の実態なのです。

  そこで神はこの世に「律法」を与え、人間が神の御心に従って生きる規範を示されました。しかし、神がこの世に律法を与えられたのは、人間がそれを守るように意図されたからではありません。神は人間が律法を守れないことを最初からご存知でした。では何のために律法が与えられたのでしょう。それは、人間に、自分が律法を守ることのできない罪人であることを気づかせるためだったのです。

  人間は、自分で善をなそうとすればするほど、自分がそれをなし得ないことを意識し、葛藤を覚えます。この律法は人の罪を暴き、人の無力を知らしめ、人を絶望させるかのように感じられますが、実は人が自分の罪と無力さを知れば、神に救いを求めるように誘導する役割を持っていたのです。自力の救いから、神による他力の救いへと人を促す役割がもともと神の意図された律法の機能なのです。人が自分の努力において絶望に至るとき、実はそれは幸いな瞬間なのです。

  さて前置きが長くなりましたが、古代社会においては、奴隷が解放されるためには誰かがその人のために代価を払う必要がありました。それが「贖い」です。そして私たちが罪の奴隷から解放されるために、神は御子イエス・キリストの尊い命を代価として払って下さったのです。したがって、御子イエスを信じる者は、その代価によって神に買い戻され、サタンの奴隷という立場から、神に属する自由人としての新しい立場を与えられるのです。

  このようにサタンによる罪の支配から神の恵の支配へと移された私たちは、もはや自分で律法を守る努力は不要となります。律法を完全に守られたイエス様の義の衣を着せていただけるからです。これが人間を罪の奴隷状態に束縛する律法に対して、神が授けてくださる恵みの効力です。

  したがって、「贖い」とは、律法による罪の奴隷状態から、恵みによる自由へイエス・キリストの命という代価が支払われることによって移し変えられることです。そして、信じる者は死んでいた霊が生き返り、失われていた神との交わりが回復されます。また聖霊の働きによって、その魂が聖化の恵みにあずかり、そして最後にキリストの再臨とともに、永遠に朽ちない栄光の体が与えられるのです。

  クリスチャンの贖いは、①霊、②魂、③体という順番でなされていきますが、最後の「体の贖い」こそが神の贖いの計画の完成であり、私たちの栄光の望み(ローマ8:23)なのです。

LVJCC牧師:鶴田健次

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2017.04.25 02:05 | キリスト教 Q & A
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