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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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前回のブログに続き、「福音を恥としない」ビビアン姉妹礼拝メッセージ その2 をお送りします。どうぞお楽しみください。




パウロは、福音が恥から解放される土台となったことを、ローマ書1:16で記しています。福音は、信じない人にとっては恥となり、信じる人にとっては恥から解放される自由を与えます。キリストの福音は「神の恵み」の良き知らせです。これこそ福音に関する適切な説明です。なぜなら、救いには自力救済の計画はないからです。


エペソ人への手紙2:4−10では、「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、—あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです— キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。


それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と書かれています。


罪人は、神のご計画を受け入れ、従うことによってのみ救われます。人類への神の惜しみない恩恵は、イエス キリストによって完全に現され、私たちに応答を求めます。


イエス様は友に見捨てられ、冒涜の罪で不正に責められ、鞭で打たれ、謗られ罵られ、服を脱がされ、人前で拷問され、十字架上でさえも、ばか者扱いをされました。この世でイエス様をサポートしていた人たちも、辱めの迫害により、次々とイエス様から離れて行きました。


 ご自身の上に起こった辱めをイエス様はどう思われたでしょうか。ヘブル人への手紙12:2に、詳しく書かれています。「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」


イエス様は、はずかしめる者を蔑まれました。主の心に恥が忍び込み、神や福音の明確かつ従順な証人としての責務を手放したくなるような誘惑にも、イエス様は屈服されませんでした。イエス様は辱められましたが、神である御父を恥じることはありませんでした。神はイエス様を死から救い、ご自身の右の座で永遠にすべての栄光をイエス様に与える力を持っておられました。


教養を持ったギリシャ人からは愚かさを説いていると嘲られても、また信じないユダヤ人からは偽のキリストを説いているとばかにされても、パウロは福音を恥とはしませんでした。なぜなら福音は「信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」だと知っていたからです。


明かされた真実は、私たちに行き届き、私たちを救い、私たちをご自分のほうへ導くために神が用いられる力です。救いは、私たちを罪の罪悪感や危険から、キリストにあって正義の避け所である安全な場所へと導いてくださるのです。それは、サタンから離れ、神に近づくことです。救い主イエス様に自身を明け渡す時、私たちは罪の束縛から解放され、キリストにあって、今度は神との交わりのうちに入ることができます。これは、人が福音に聞き従う時に初めて実現します。福音は、国籍、家系、人種、民族の文化の違いなど一切問わず、すべての人に用意されています。


パウロは、真実と福音の力に全信頼を置いていました。罪人のために十字架につけられ、神の御子に与えられた力によって3日目に蘇り、御子を信じるものに惜しみなく与えられる恵み、これがまさに福音そのものであり、信じるすべてのものには永遠のいのちをもたらします。


罪を悔い改めて福音に聞き従う時に、人は御国に加えられます。キリストは今、王として御国を支配しておられ、私たちは福音に聞き従うことによってそこに入ることができるのです。第二テモテの手紙1:8−9では、「ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、」と書かれています。


今日私たちは、どんな辱めを受けるでしょう? 福音を信じて語るが故に受ける恥をどう克服するでしょうか?イエス様は、神がご自身とご自身の言葉を恥じる者を恥じることを、弟子たちに警告しました。マルコの福音書8:38には、「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」と書かれています。


私たちはこの事実に対してしっかりと応答しなければなりません。救いの真実を語ることは、この世で最も愛に満ちた行為なのです。罪許された罪人に、永遠の喜びをもたらす福音の力を考えてみてください。イエス・キリストの福音以外にこの世のいかなるものもそのようなことはできません。


どんな宗教も、聖なる神からの断絶の問題を解決し、行いではなく信仰によって与えられる恵みのゆえに罪人に希望を与えることのできる救世主を持っていません。罪人を救い、神の御臨在に導くことができるのは、イエス キリストの福音以外にありません。ヨハネの福音書14:6で、イエス様はこう言われました。「「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」


それゆえに、パウロ、そしてイエス様でさえも、「苦しみを受け、誤解され、辱められ、一時的な痛みを伴うこと」を、よしとするでしょう。私たちも辱めを受けることがあるでしょう。しかし恥じる必要はありません。なぜならキリストにあって神の救いの御業は、この世で唯一の勝利のメッセージだからです。愛のために、私たちは恥を我慢するのではなく、「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」と語ることができます。キリストの福音だけが、救いに導く神の力です。罪人が救われ、神の家族に加わり、救い主について他の罪人に語るために互いに学び、備えるようになります。私たちには、この福音を、子供たちも含め人々に語る特権が与えられています。


最後に第2コリント人への手紙5:18−20を紹介して終わります。「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」


鶴田先生から、数週間にわたって和解の使者についてお話しいただきました。これは単なる書面上の言葉に過ぎないのでしょうか? それとも私たちの人生を変える力のある言葉でしょうか? 私たちは、キリストの使者として、イエス様の代表なのです。なんと言う特権でしょう。また主の愛と恵みを分かち合えることはなんと素晴らしいことでしょう。私たちは皆、油注がれた者として、神の愛を持って多くの人の人生に触れることができるようにされたのです。そしてそれは、まさに和解の使者としての特権そのものです。


招き


もしあなたがクリスチャンでないならば、福音に耳を傾け、信じ、従ってください。イエス様が、どんなお方で、あなたのためにどんなことをしてくださったかの真実に心を開いてみてください。福音への従順がキリストとの関係の始まりとなり、神の家族となることを知ってください。


キリストにあって霊的に成長すると、福音についてさらに強い思いが与えられるでしょう。神、神の恵み、そして御子に対する感謝がさらに深まるでしょう。そしてパウロのように、あなたもまたこう告白するでしょう。「私は福音を恥としません。」



(LVJCC英語部:岩田ビビアン)


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2017.03.02 03:06 | お知らせ
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