食欲の秋、運動の秋、読書の秋がやってきましたね。冬の寒さに向けて、心も体も蓄えの準備に入るこの時期、ふと我が家にある本の整理整頓をした際に、本棚で眠っていた一冊の本に再会しました。それは、「マザー・テレサ 100の言葉」という本です。
今回は、偉大なるマザー・テレサが語る「100の言葉」の最初のページから与えられた思いを、皆さんにシェアしたいと思います。
「わたしたちのしていることが、大洋の中の一滴にすぎないことを知っています。でもこのひとしずくがなければ、この大洋に、ひとしずくの水が足りないことになるのです。」
今に始まったことではありませんが、日常生活の様々な場面で、しなければいけないことが次々に押し迫ってくる経験を繰り返しながら、必死で過ごしているように感じることがよくあります。そして、いくら頑張っても、その努力は所詮、微々たるものに過ぎないと思うと、頑張るのを一時停止したいと思うことだってたまにはあります。皆さんに中にも、状況は異なるものの、同じように感じられるときがあるのではないでしょうか。
子供を持つ親として、日々繰り返されるルティーンや、目前のTo Do Listに紛れて、「Doing」に重きをおくようになり、まるで神様にあっての自分の存在「Being」さえも忘れがちになっているときもあります。
しかし日常生活で発揮される私たちの、小さな思いやり、小さな行動、小さな働き、小さな配慮、小さな優しさ、小さな寛容、小さな憐れみは、関わる周りの人にとっては、なくてはならないものなのだと、マザーの言葉が気づかせてくれました。
神様のお働きに携わる時も同じなのではないかと思います。たとえどんなに小さな働きに見えたとしても、神様にとっては、神様のご計画にはなくてはならない存在であり、欠かすことができない重要な存在です。さらには私たちに何ができるから、また何をしないからといって、私たちに対する神の愛が変わるようなことは、決してありません。
まるでパズルのピーズを一つでもなくしてしまうと、もうそのパズルは完成できないように、私は小さなピースではありますが、神様の偉大なるご計画の中にあるピースとして、神の御心を求め続け、従っていく者でありたい、そう心を新たにしました。
わたしたちという「大洋のひとしずく」を、神様はなくてはならない存在として、今日も、これからも、ずっと必要としておられます。そう思うと、この世でたった一人の自分という存在の尊さを感じずにいられません。そのように私たち一人一人を見ていてくださる神様に、今日も感謝の思いでいっぱいになりながら、私の霊が満腹になったと同時に、親として、子供の「Doing」ではなく、「Being」に注意深く居られる力が与え続けらるよう、祈りに導かれたのでした。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ43:4
(YK)
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