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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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23歳ごろのこと、ある旅行に参加した時に知り合ったひとつ年上の女性がいました。名前はユリさん。ユリさんが私の人生に少し加わってくれたおかげで、私の人生は大きな変化を遂げることになりました。

ユリさんは、優しくて頭の良い素敵な女性です。その旅行以来私たちは仲良しになり、お互いの家を行き来して、いろいろな話をしました。その中でユリさんはこんなことを言いました。「死ぬ、ということをどう考えるかで、生き方が変わってくる」と。当時の私には、ドキッとするような言葉でした。なぜなら、死=恐怖、破滅、人生の終り、と思っていたからです。

ユリさんが言うには、「死んだ後、無になる」と思っている人は、生きている今が良ければ目的達成、ということになるので、手段を選ばず人の道に外れたことでも、どうせ死ねば罪も自分も消えて無くなるから何をやってもOKという考え方になるかもしれない、と言いました。
また、もし「死んだ後、あの世がある」と考えている人は、生きている間はなるべく良い人になって善行を行い、天国に入れるようにと心掛けるから良い世の中になるかも、ということでした。

私はそれ以来いつも頭の中に、「死後はどうなるのか?」というテーマが張り付いたように離れなくなりました。なぜなら、その考え次第で、生き方が変わるのですから大問題だと思ったのです!
 
それまでの私は、死んだら何もなくなる、と思っていました。でも自分の利益のために、嘘をつき人をだまし不正をして自分の思いを遂げようとは思いませんでした。なぜだろう? ユリさんは、「それは心の中の良心が働いてるから」、と言いました。でもなぜ良心が働くのだろう、どうせ死んで無になるのに・・・ 良心とはいったい何なんだろう?どうしてあるのだろう? たぶん神様関係だろうけど、その存在理由と、その正体を知りたいではないか。

ユリさんは、死んだら次の世があると信じていました。人生で出会う苦難・困難こそは、自分を成長させる栄養になるものだから精一杯取り組むことが大切、と言いました。そして、答えがなかなか出ないものこそ重要だから、あきらめずに求め続けるのだとも言いました。
なるほど・・・わかります。ただ私は、苦難・困難を最高得点で解くカギは何だろうと思いました。これもあきらめずに求めるものの一つだとも思いました。

それから私たちは毎日のように話をし、大体このような形にまとまりました。
宇宙の創造主なる存在=神様は、人間がこの世界で迷うこのないように心に良心を入れられ、精神的また霊的に向上するための機会を人生の苦難という形で設け、その獲得した目に見えないものを持って、肉体を去った後、次の霊的な世界へ移行するのではないか、というものでした。
つまり、今の世を生きることは、次の世に行くために必要な準備期間、という訳です。
少なくともこの時は、ここまで行き着いたことに満足でしたが、私たちは同時に足りないものがあることも感じていました。 

それから時が流れて、ユリさんは仕事の関係で他県に引っ越して行きました。

私は、正しさの基準を探していました。国が違っても時代が違っても、どんなことにも動かされない正しさの基準です。それを知って適用できたら、この世で経験するどんな難問も恐れるに足りないと思いました。

ある時、モルモン教と出会いモルモン教の教えを聞き勉強会にも出席した時期がありました。しかし、心に感じるものがありませんでしたので、行くのをやめました。
またある時、統一教会と知らされずパーティーに出席しました。何人もの人たちと友達になりディスカッションをするグループに参加して、それなりに得るものもあると思っていた頃、「おやっ、」と思うことがあって、聞いてみると統一教会の人だということが分かり、去りました。
幸福の科学という団体にも行っていたことがありました。教えに共感できるところがあったのですが、その教えの基本を成す1箇所が急に変更されたことがあって、探しているものではないことが分かり辞めました。

時が流れて、引っ越した地の2-3駅先に、友人が勧めるキリスト教会があってそこへ行き、ヒョンなことから洗礼を受けました。順番が違いますが、洗礼の後、聖書を読んでびっくりしたことがありました。地球や人間がどのように造られたかが書かれていたからです。この方が創造主・・・? でも、聖書は難しくて、ほとんど字面を追うだけでした。 

長い年月が過ぎ、ラスベガスに住み始めて2-3年後、世界中を巡回伝道されている中野雄一郎先生が日本人教会に来るという張り紙を見て行ってみました。中野先生のメッセージと、翌週に鶴田先生のメッセージを聞き、心が喜び躍りました。それ以来毎週行くようになりました。
聖書の勉強を始めてから不思議と聖書が理解できるようになり、聖書は私にとって特別な本になりました。なぜなら、聖書には私が長年探していた正しさの基準が、「愛」という言葉で至る所に書かれていたのです。神様は宇宙や人間や全てのものを愛を持って創造され、愛無くして行うことは今でも何一つ無いのです。
これが私が探していた究極の正しさの基準なのか・・・ しかし、あまりにも崇高すぎて、比べられないし、当てはめられないというのが正直なところです。しかし分かることは、この神から離れてはならない、ということでした。

ユリさんと私の仮説で足りないところが分かりました。それは、人は誰でも罪人だということを知らなかったことでした。そして罪を持ったままでは次の世に行くことができないことも分かりました。更に、罪をあがなう方法があの十字架だったことも気づいていませんでした。

私は、神様のプランである、神の御子イエス・キリストを私の罪の身代わりとして十字架につけ、死に渡れたことにより、私に罪の許しが無条件で与えられたことを知りました。全身が震え涙が止まりませんでした。
私が罪からの救いを得られたことは、真に神の恵みでした。主はいつも私の内にいてくだいますので、今私は主にあって強くされ、主が私に力と知恵と希望を与えてくださる源となりました。

あの若き日に、ユリさんと真理を探究していた頃を懐かしく思い出します。今ではユリさんと連絡が取れませんが、マタイ7章7節に「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」とあるように、真実を求めていたユリさんも主に救われていることを信じています。   

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」(第一ヨハネ3:16)

(MU)

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2016.10.19 11:44 | 証し
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