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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

前編に続き、今回は森永製菓の土台を作った2人のクリスチャン、森永太一郎と松崎半三郎をご紹介します。

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1899年(明治32年)、森永太一郎が創業した「森永西洋菓子製造所」は、開業して3年後には東京の菓子屋で森永太一郎の名を知らない人はいない!と言う程に成長しました。
しかし、知名度こそある程度ついたとはいえ、個人商店の域は出ておらず、製菓業を近代的な産業にするという壮大な夢を実現するには自分一人では限界があり、助け人がいなければこれ以上の発展は望めないと、人材を探しはじめました。

そこで、太一郎が目を付けたのが、約2年前に知り合った松崎半三郎です。

松崎は、立教学院(立教大学の前身)を卒業後、貿易会社勤務を経、オルガンやピアノの部品、洋菓子の原料などの輸入する貿易商社を経営しており、森永西洋菓子製造所へも西洋菓子の原材料を納入していました。
太一郎は、取引を通じて彼の能力、特に営業面を高く評価していました。
何よりも松崎も熱心なクリスチャンであったことから強い親近感を覚え、松崎が資金繰りに困っている時は、無利子無証人で5千円という大金を融通したこともあったそうです。松崎も、その信用に応え、必ず期限までに完済したそうです。
その様な松崎を「あの男なら間違いはない。」と信じた太一郎の説得が始まりました。

   MN2a.jpg            (若き頃の森永太一郎)

早速、松崎を料理屋に誘い、「松崎さんに是非森永西洋菓子製造所に来てほしい!」と率直に話をし、「西洋菓子製造には絶対の自信を持っているが、営業がなかなかうまくいかない」「栄養の富む菓子を安い値段で日本人に提供したい。そして海外に輸出したい。」と太一郎が面している問題と自分の夢・思いを打ち明けたそうです。
それに対し、「森永さんの夢はよく分かりました。でも私は貿易商で身を立てたいのです。せっかくの申し出ですが断らせていただきます。悪く思わないでください」と松崎は丁重に断ったのですが、「悪く思うなんて、とんでもない。どうかゆっくり検討されて、その気になったら、よろしく頼みます。私の方は、いつでも大歓迎です」と将来の可能性を信じ別れたそうです。

その後、約2年間、太一郎の懇請は続きました。
折に触れ幾度も松崎を誘ってみるも、その度に丁重に断られ続け、迎えた1905年(明治38年)の1月1日。
「今年こそは松崎を招き入れよう!」と心に決めた太一郎は、夜明けを待たず、早朝4時、紋付羽織袴姿で築地にある松崎家へ人力車を走らせ、松崎の家のドアを叩きました。
新年の早朝にも関わらず、松崎は太一郎を玄関脇の応接間に通し二人は対面しました。
約2年前と変わらぬ、いやそれ以上の夢と情熱をもって説得する太一郎に、さすがの松崎も遂に「これほど熱心にお誘いいただいて、光栄に思います。しかしこのことは人生の一大事なので、妻とも相談しなければなりません。今夜まで考えさせてください」と返答し、約束通りその夜7時に太一郎の自宅を訪れました。
待ちに待っていた太一郎が「今朝ほどの件はどうでしょう」と単刀直入に聞くと、松崎は「私の出す3つの条件を受け入れてくだされば、喜んで働かせていただきます。『第一に森永さんは製造に専念し、私は営業を担当する。』『第二に現在のような個人商店では、発展に限度があるので、なるべく早く株式組織にする。』『第三に必要な人は縁故にとらわれず人物本位で採用する。』森永さんの夢を実現させるためには、この3つが絶対に必要という結論に至りましたのであえて条件にさせていただきました」と答えたそうです。無論これらの条件に全く異論のなかった太一郎は、松崎の3つの条件を全て受け入れ、固い握手を交わしたそうです。

創業から6年目の1905年(明治38年)。森永太一郎と松崎半三郎のクリスチャンコンビの誕生です!

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更に同年、天使がTとMの字を手で抱えている、あの有名なエンゼルマークが生まれ、トレードマーク(商標)登録されました。

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条件通り、太一郎は製造、松崎は営業と経理を担当し、太一郎がしたくても出来なかっこと、不得手なことは全て松崎が実現していきました。
更に、松崎は支配人として営業と経理を担当する傍ら、時間を見つけては製品の荷造りや発送の仕事にも加わり、業務の全てに通じるために現場で汗を流し、店員との人間関係にも気を配りました。
原材料のアメリカ直輸入(製品コスト削減)、そのための信用状の開設。
芝―田町の新工場ベルトコンベア化のための、最新鋭の機械、キャラメルの伸展機、切断機、乾燥物のデポジター、プリンターなどのカタログの取り寄せ、機種案の提案など、太一郎の思っていることを松崎はどんどん形にしていきました。
更に、消費者にうったえる広告の展開、融資の手配など、経営者同等の視点でその働きをしていました。

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そして、1910年(明治43年)、「株式会社森永商店」として太一郎の夢であり、松崎の3つの条件の内の1つであった「株式会社への組織変更」が実現。同時に、もう1つの条件「人物本位」の採用も積極的に行なうようになりました。
1915年(大正4年)には海外へビスケットを輸出する等、夢が現実となりました。

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その間もその後も、資金を預けていた銀行の預金封鎖や商品の品質問題、工場建設用地買収に関する反対、火事等、様々な困難も、もちろんあったようですが、2人は落ち込むのではなく、災難は神が与える試練と信じ、新しいチャレンジへの布石としたのです。

太一郎が始めた森永西洋菓子製造所は、菓子の製造以外にも、1904(明治37)年に従業員の制服制帽採用、1919(大正8)年には、業界に先駆けて8時間労働制を導入、戦後も、早くから健康保険組合や厚生年金基金の設立を行うなど、職場環境整備の面でも先駆者として歩んでいます。

後に人々は「森永の松崎か、松崎の森永か。森永は二人にして一人である」と言ったそうです。
西洋菓子の会社をここまで大きく、現代も愛される会社を育てたこの2人は、常に主を真ん中に、お互いに尊敬しあい、夫々が与えられた賜物をもちいた、主にある1つの家族だったのだと思います。
商標にエンジェルを使うほど主を愛し、人々にイエス様を伝えようとした信仰の先輩に続く者でありたいと思います。

(KS)


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2016.10.12 01:04 | 信仰者シリーズ
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