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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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  1943年5月26日早朝に行われたユダヤ人狩り(合計3, 000人)の様子

1944年8月4日午前10時半頃、隠れ家に踏み込んだSD( ドイツ秘密警察)は、アンネ達8人のユダヤ人と、 協力者の内の男性2人を逮捕し、SD(ドイツ秘密警察局)の拘置 所に連行しました。
その後、協力者の男性2人は、収容所・施設等に送られましたが、 ヨハネスは病気のため1945年9月18日に釈放され、 ヴィクトルは1945年4月はじめ、脱走に成功し、 隠れ家に戻って来ました。
隠れ家の住民は、アムステルダムの拘置所、 ヴェステルボルク通過収容所等を経て、1944年9月3日、 アウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所へ全員が移送された後は、 それぞれ「よりわけ」られ、壮絶な生活を強いられ、 オットー以外は病気や栄養失調等で亡くなり、 この隠れ家に戻ってくることはありませんでした。

記録によるとアンネは1945年3月頃、姉のマルゴーの死の、 数日後にチフスと栄養失調の為、ベルゲン= ベルゼン収容所で亡くなったそうです。 正確な日付は分かっていませんが、アンネは15歳であり、 死後数週間後にはその収容所は解放されたそうです。

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アンネ・フランクの登録カード

唯一隠れ家に戻ることができたオットーは、アウシュビッツ= ビルケナウ絶滅収容所の病室に収容されていた1945年1月27 日、ソ連軍がアウシュビッツを解放したため、 生き延びる事ができました。その後、戦争の混乱の中、ついに1945年6月オランダへ帰還しました。

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  ユダヤ人キャンプでは、番号で呼ばれ、 その番号を体に彫られました

オランダへ帰還した時オットーは、妻 エディットが死亡したのは知っていましたが娘2人の生存について 知りませんでした。
オットーが、1945年7月、2人の娘たちが収容所で死亡してい たことを確認した際、協力者だったミープから「 アンネからあなあたへの遺産ですよ」と言う言葉と共に、 アンネの日記や手帳、アルバム等を手渡されました。

オットーからスイスにいる彼のお母様へ出された1945年8月2 2日の手紙で初めてアンネの日記について
「不幸中の幸いとでも言うべきか、 ミープが私たちの写真のアルバムとアンネの日記をとっておいてく れた。だが私にはこの日記を読む力はまだない」言及しています。
ですが、一旦読み始めると、止めることができなかったそうです。

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アンネ、13歳の誕生日に送られた日記帳と隠れ家での生活中に書 き続けた日記

最初は、 オットーのお母様の為にアンネの日記を短くドイツ語に訳し、 その後原文に近いバージョンの作成に着手し、 校正済の原稿を何人かの親しい友人に読んでもらう等して、ついに 1947年6月25日『隠れ家』 と言うタイトルでアンネの日記がオランダで出版され、1950年 にはフランス語、ドイツ語版が出版されたそうです。 アメリカでは十数社の出版社が出版を拒否したようですが、195 2年「the Diary of a Young Girl」 と言うタイトルでアメリカそしてイギリスで英語版が出版されたそ うです。私たちも知る通り、日本版、 その他多くの言語に訳され出版されました。更に、劇場版、 英語版の「アンネの日記」が大ヒットすることにもなりました。

日記の出版は、実はアンネ自身の夢でもあり願いだったのです。

<将来の夢を語るアンネ>
「あなたもとうからご存知のとおり、私の最大の望みは、 将来ジャーナリストになり、やがては著名な作家になることです。 いずれにせよ、戦争が終わったら、とりあえず「隠れ家」 と言う題の本を書きたいとは思っています。 1944年5月11日」
「いろいろ考えた挙げ句、やっとのことで「隠れ家」 の著作に着手しました。 私の頭の中ではもう完成したのと同じくらいまんぞくしているんで すけど。でも実際には、そう簡単には完成しないでしょう。まあ、 ほんとうに完成するとすればの話ですが。 1944年5月20日」


これは、1944年3月28日のロンドンからのオランダ亡命政府 によるラジオ放送で、ある閣僚が国民に対し「 戦争中の個人的な記録や手紙などを保管しておくよう」 呼びかけたのを聞いた後のアンネの日記です。
その後、 アンネは自身のこれまでの日記の内容の推敲と編集を行うとともに 、日々の日記も書き続けました。

小さな一人の夢見る少女が、25カ月の間小さな隠れ家で書き続け た日記は、アンネ自身による出版ではなく、アンネのお父様、 オットーの手によって世に出ることとなりました。それは、 アンネも想像さえしなかった程の言語で多くの国々の人々に読まれ 、劇場や映画にまでなり、隠れ家がミュージアムになるほどに!

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多くの言語で出版された「アンネの日記」の表紙

主は、アンネの願いをこのような形でかなえ、 実際にこの世に生き、苦しんだ少女、アンネの人生を通して、 私たちに戦争の悲惨さ、偶像(ヒトラー)を崇拝する人々の狂気、 そして「ユダヤ人」という存在等を強烈に伝えてくださいました。

「わたしは周囲のみんなの役に立つ、 あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。 わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけることこと! その意味で、 神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。 このように文章を書き、自分のなかにあるすべてを、 それによって表現できるだけの才能を! 1944年3月25日」 アンネの日記より

「私は自分がなにを求めているかも知っています。私には目標も、 自分なりの意見も、信仰も愛も持っています。 1944年4月11日」  「アンネ・フランク・ハウス」パンフレットの裏表紙に記された「アンネの日記」より

ドイツ・ ナチス軍のユダヤ人迫害についてラジオや新聞で聞き知っていたア ンネ達は、隠れ家での生活中、 何度死について考えたことでしょう?

私たち人間は、この「死」に対して無力です。

その様な私たちの為にこの世に来て、十字架にかかり、 復活された、神の子、主 イエス・キリストは、 永遠の命についてこのようにおっしゃいました。

「わたしは復活であり、命である。私を信じる者は、 死んでも生きる。生きて私を信じる者はだれも、 決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 ヨハネの福音書 11章25-26節

皆様が永遠の命を得ることができますように。

終わり
(KS)

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*日本でもアンネフランク財団による展示などが行われています。 よろしければ、是非戦争を知らない子供たちに。
http://annefrank.org/en/ Worldwide/Countries/Japan/

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2016.09.11 22:37 | その他
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