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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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       隠れ家へのドアとそれを隠すために設置された本棚

アンネ達がこの隠れ家で過ごした約25カ月間、主に4人の人々が、ここで生活を続けることができるよう協力をしていました。

1人は、隠れ家生活に入る約1年前、ユダヤ人が会社を経営する事も禁じられた際、その会社の社長に任命された、ヨハネス。そして、同じ会社で働いていた事務員の3人です。
(隠れ家での生活中もアンネのお父様オットーが裏舞台で会社を経営していました。)

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          隠れ家生活を支え続けた4人

この4人は、食物を調達するだけでなく、毎週図書館から本を借りてきたり、新聞を運んで来たり、アンネやアンネの姉・母、同居者のペーターやその母達が通信教育を受けることができるよう、それぞれの名前を貸したり、隠れ家の住民の誕生日やクリスマスには、お花やプレゼント、ケーキなども調達していたようです。

戦争下での物資の調達がどれほど大変で危険だったか、この4人がどれだけ隠れ家生活を支えていたか、アンネ自身も日記の中で記して言います。

<協力者への感謝と>
「だれもが毎日のようにわたしたちのところへあがってきて、男たちには会社のことや政治のことを、女たちには食べ物のこととか、戦争に伴うさまざまな不自由のことを、そして子供たちには、新聞や本のことをはなしてくれます。いつもせいいっぱい明るい顔をくずさず、お誕生日や祭日には、花やプレゼントを持ってきて、つねにできるだけわたしたちの力になろうとしてくれています。この恩は、けっして忘れてはならないと思います。

これまでわたしたちが生きのびてこれたのも、ひとえにこの人たちのおかげです。わたしたちの存在は、きっとたいへんな重荷になっているにちがいないのに、この人たちの口から、そういう愚痴は一言たりと聞かれません。 1944年1月28日」

同時に、アンネのお父様オットー自身も、隠れ家への移住前に、事前に配給切符が無くても規定以上の量を配慮してくれる肉屋などにミープを連れて行ったり、子供達が生活で必要な物を先に隠れ家に送る等、家族とその生活を守る体制を作っていたようです。隠れ家での生活中も子供たち3人の勉学を支え続けたのもオットーでした。
実際、ナチス・ドイツ軍が隠れ家に乗り込んだ時も、オットーはペーター(同居者夫婦の1人息子)の部屋で彼の勉強を見ていました。

<将来に備えて最後まで勉強を続けていたアンネ達>
「大嫌いなのは、代数と幾何、そして計算。これ以外の学科はなんでも好きですが、なかでも歴史がいちばん好きです。 1944年4月6日」

<オットー(父)が先に送っておいた写真コレクションに感謝するアンネ>
「さいわいパパが前もって、私の映画スターの写真のコレクションを送っておいてくれたので、糊と刷毛の助けを借りて、壁全体を一枚の大きな絵に仕立てました。これで部屋がぐっと華やかになりました。 1942年7月11日」

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      映画スターのポスター等が貼られたアンネの部屋 

しかし、戦争が長引くにつれ、食料の入手が困難になり、協力者や隠れ家の住民の心も更に疲労してきました。

<食料の量・質の悪化>
「あすからは、一切れの脂もなければ、バターもマーガリンもありません。本日のごちそうは、いままで樽に貯蔵してあったキャベツ入りのハッシュ。キャベツ – それもおそらく2、3年もたった古いのって、ものすごい悪臭を発します! 1944年3月14日」

<協力者の心労>
「クーフレルさんはわたしたち8人に対するあまりの責任の重さに鬱積し、心痛に押しつぶされ、口もきけないということすらあります。 1944年5月26日」

一方、明るいニュースもありました。連合軍によるノルマンディ上陸です。

<ノルマンディ上陸のニュースを喜ぶアンネたち>
「” This is D-day.(本日はDデーなり)”。今日12時、このような声明がイギリスのラジオを通してだされました。まちがいありません。まさしく”This is the day(今日こそはその日)”です。いよいよ上陸作戦が始まったのです!

隠れ家はいまや興奮のるつぼです。いよいよ待ちに待った解放が実現するのでしょうか?

ほんとうに今年、1944年じゅうに、勝利がやってくると考えていいのでしょうか? まだわかりませんが、それでも希望は生きつづけ、新たな勇気と力とをわたしたちに与えてくれます。ひょっとするとマルゴーの言うように、うまくゆけばわたしも、9月か10月にはまた学校へ行けるようになるかもしれません。 1944年6月6日」

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オットーがラジオからの情報を基に日々連合軍の動きを記録続けた、希望が詰まった地図

しかし、この明るいニュースから約2か月後の1944年8月4日、ついにこの隠れ家にSD(ドイツ秘密警察)が踏み込み、アンネ達8人のユダヤ人と、協力者の内の男性2人は逮捕されました。

<アンネが逮捕される最後(約20日前)の日記>
「この世界が徐々に荒廃した原野と化してゆくのを、わたしはまのあたりに見ています。つねに雷鳴が近づいてくるのを、わたしたちをも滅ぼし去るだろういかずちの接近を耳にしています。幾百人の人びとの苦しみをも感じることができます。でも、それでいてなお、顔をあげて天を仰ぎみるとき、わたしは思うのです。いつかは全てが正常に復し、いまのこういう非道な出来事にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と。それまでは、なんとか理想を保ちつづけなくてはなりません。だってひょっとすると、ほんとにそれらを実現できる日がやってくるかもしれないんですから。 1944年7月15日」

(KS)

次回(最終回)は、9月12日(月)にお届け予定です。
前回・その2 はこちら

写真や日記内容はアンネ・フランク・ハウスの来館者用パンフレット及び
http://annefrank.org/ より引用


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2016.09.04 22:40 | その他
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