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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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    アンネ フランク      ​ ユダヤ人強制収容時の資料とアンネの日記

この夏、アムステルダムにある「Anne Frank House(アンネ・フランク・ハウス)」を訪れる機会が与えられましたので、その時の事、またアンネ・フランク、アンネの日記について数回に分けてBlogご紹介したいと思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、アンネ・フランクは、1929年6月12日にドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれ、1945年3月頃ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺によりドイツのベルゲン=ベルゼン収容所で死んだユダヤ系の少女です。その一人の少女が1942年7月6日から1944年8月4日までの約25か月間に及ぶ隠れ家での生活期間中に、書き記した日記が「アンネの日記」であり、その筆者です。

日記の舞台でもあり、アンネ一家を始め8人が隠れ家として生活していた家が、アンネ・フランク・ハウスです。

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  裏が側から見た当時の隠れ家 ​       運河に面する隠れ家の正面

私自身、初めてこの日記を読んだのは、アンネが隠れ家での生活を強いられた年齢よりも少し幼い、10歳前後だったと思います。就寝前の読書が習慣でしたので、読むのはいつも夜でした。夜の静けさの中、一人でこの本を読み進めることの難しさと、同時に一晩分の量を読み止めることの難しさがありました。涙でしばらく読めなかったこともありますが、同年代のしかも誕生日が2日しか違わない(!)会った事もない友人との交換日記の様でワクワクして読んだ箇所もありました。読み終わった後も、しばらく枕の下に置いて寝ていたことも覚えています。(そして、その後同じような日記帳を買ってもらい、日記を記し始めました。)

6歳の時に広島平和記念資料館に連れていかれたこともあったので、戦争の怖さは知っていましたが、この日記から伝わる戦争の狂気、恐ろしさは迫ってくるものがありました。

そして、同じ年代である彼女の生活と自分の生活を比較してみようともしましが、それは私の想像の域を超えたものであることまでしか、分からなかったような気がします。

その頃から「いつかアンネに会いたい♡」と言う思いがあった私に、アムステルダム行きの機会が与えられ、そこにアンネ・フランク・ハウスがあり、ミュージアムになっている!と言う情報も与えられ、無事30分の事前説明付で入館予約を入れることができました!

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     隠れ家の全体模型図​      隠れ家に続くドアの前に設置された本棚

<隠れ家での生活初期の日記より>

「昼間は、倉庫で働く人たちに聞きつけられるといけないので、ひそひそ声ではなさなければならないし、忍び足で歩かなければなりません。   1942年7月11日」

隠れ家での生活 21カ月頃の日記より
「このいまわしい戦争も、いつかは終わるでしょう。いつかはきっと私たちにも、ただのユダヤ人ではなく一個の人間に戻れる日が来るでしょう。 1944年4月11日」

写真や日記内容は
アンネ・フランク・ハウスの来館者用パンフレット及び
http://annefrank.org/ より引用


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2016.08.29 19:28 | その他
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