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ラスベガス日本人教会  砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を

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6日目の聖誕教会の後、ベツレヘムの隣・Beit Jalaという町の中心部に位置する「べイト・アル・リカ(Beit Al Liqa)幼稚園」に行きました。
この幼稚園は、本旅行の主催・山本真美子師のミニストリー・希望の収穫がサポートしているクリスチャン幼稚園です。おそらく同幼稚園は、パレスチナ中の子供たちが誰でも行きたいと願っている幼稚園だと思います。
上の写真が「べイト・アル・リカ」の建物です。近代的な4階建ての建物に、子供たちが楽しく遊べる室内のプレールームや、行き届いたクラスルーム、食堂等が、清潔に安全に整えられています。
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芝生の庭にあるブランコや滑り台などの遊び場で、子供たちが遊んでいます。「べイト・アル・リカ」の庭の大部分は公園として作り、2000年にベツレヘム州に公共の公園として提供しています。以来、大勢の子供たちや家族が遠方からもやって来て、遠足の目的地にもなっているそうです。公園内にはドリンクやアイスクリームや軽食を提供するキオスクもあるということです。
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実は「べイト・アル・リカ」は幼稚園と公園だけではなく、キリスト教のトレーニングセンターやスポーツフィールド、ユースセンター、レセプションエリア、保育園、宿泊施設、200収容のホール、ダイニング、キッチンと食堂、地下駐車場などもあり、クリスチャン・センター的な働きをしているようです。
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創始者で経営者のジョニー・シュワン(Johnny Shahwan)師の証しがとても素晴らしいので、シェアさせていただきたいと思います。

シュワン師はベツレヘムのアラブ人クリスチャンの家庭に生まれ育ちました。ベツレヘムには世界最古のキリスト教共同体が存在していましたが、パレスチナ自治政府になって以降、ムスリム過激派からクリスチャンが迫害され始め仕事も少なくなり、クリスチャン人口は激減しました。そんな中、シュワン師は、知り合いのいるドイツに滞在した後、兄のいるカナダに行きました。そこで初めて兄から、イエス様の生まれた場所が自分たち兄弟が生まれたベツレヘムだと聞きビックリ仰天し、イエス様がこれほど近くにいたんだと、目が覚めた思いでした。
さあ大変だ、帰ってベツレヘムで人の役に立つ仕事をして、人々のために働こうと思いました。帰り道、再び知人のいるドイツに寄り教会でその話をすると、ルーテル教会が資金の援助を申し出てくれました。また奥様のMarleneさんにも同じルーテル教会でお会いされたそうです。
シュワン師は以前からムスリムの貧しい人々に食べ物を持って行ったりする心優しい人でしたので、ムスリムの人たちからも評判の良い人でした。そしてムスリムの子供たちは、滑り台も無い芝生も知らない生活をしていることを知っていたので、そんな子供たちのために幼稚園を作ることにしました。すると、クリスチャンの子供たちもムスリムの子供たちも喜んで来てくれるのでした。そして、現在では、パレスチナのクリスチャン幼稚園として海外でもその名を知る人々が増えています。

神様の導きは、本当に不思議としか言いようがありません。そして、神様の言われたとおりに従う時、そこに見えて来るのは祝福を伴なう大いなる主の栄光なのだと改めて思いました。
「べイト・アル・リカ」は神様の栄光を浴び輝いている場所でした。明るく、温かく、やわらかく、愛と平和の雰囲気の中で歓迎していただきました。実は、正に、これが「べイト・アル・リカ」のビジョンなのだそうです。
下の写真、シュワン師は前列の真ん中。
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ある日クリスマスのお祝いに、ビリーグラハムの活動機関から子供たちにシューボックス・ギフトが2000個届いたそうです。シューボックス・ギフトというのは、靴の箱の中にプレゼントを詰めてギフトラップしたものです。子供たちはイエス様から届いたギフトに目を輝かせ、普段からイエス様の話を学び教えを守っている子供たちの中で200人が自主的に信仰告白をしたのだそうです。ハレルヤ!

さて、次に向かった場所はラケルの墓です。
(創世記35:16-20の要約) 父ヤコブが兄エサウと和解した後、べテルを発ってベツレヘムに向かう途上、ラケルは産気づき難産の末ベニヤミンを産んで亡くなり、ベツレヘムへの道に葬られました。

ベツレヘムの北にラケルの墓はありました。何とそこは、両側が分離壁に挟まれた道でした。
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壁で囲まれた威圧感の中、バスを降りてラケルの墓まで少し歩いたのですが、視界に見えるものは高い壁と砂嵐色の空だけで、その雰囲気はまるで壁の中の囚人のように感じました。ラケルの墓の入り口も、分離壁の一角に設けられていました。女性側の内部は狭く、女学生がたくさん来ていて身動きできないほどでした。多くの人たちは聖書を開いて熱心に読んでいました。棺のようなものは見えましたが近寄れる状況ではありませんし、写真撮影禁止でしたので中の写真は撮れませんでした。
聖書から思い描いたラケルの墓と現実とのギャップに戸惑いを感じたのが正直な感想です。 
下の写真の左壁にあるアーチ状の一つに、男女別の入り口が作られていました。
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下に、昔のラケルの墓の写真を見つけました。以前はこの写真のようだったのでしょう。何となくホッとしました。
ラケルは夫ヤコブに愛されていましたが、その生涯は幸せだったのだろうか。多産の姉と自分を比べて悲しく思っていたかもしれない。その上、姉レアのように先祖の墓アブラハム、イサク、ヤコブと同じマクペラの洞窟に埋葬されませんでした。なぜなのでしょう。ラケルは父のテラフィムを盗んだ(創世記31:19)からかな、とも思いました。
しかし、ラケルの墓がベツレヘムの途上にあることで、何世紀にも渡り多くの旅人たちが癒されたことでしょう。
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夕方近くエルサレムのホテルに戻り夕食までのフリータイムの間、電車・ライトレール(Light Rail)に乗って街まで行ってみることにしました。電車に乗るまで、どの路線、どのホーム、切符の買い方等わからないことだらけだったので時間がかかってしまいました。
ですが、予定にない行動はとてもエキサイティングで、どんな路地裏も探検したい思いに駆られました。けれど、限られた時間内なので自粛し、表通り付近を写真を撮りながら・・・・・なぜか、食べ物屋さんばかり写していました。パン屋さん、タコ屋さん、クッキー屋さん、そして目を引くポップアート看板のメガネ屋さん・・・
そうだ、帰ろう。もうそろそろホテルのディナータイムが始まるから。
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無事にホテルに着いて夕食と楽しいしおしゃべりをし、6日目が終わろうとしています。
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聖書を読みながらふと、イスラエル旅行中の日々の収穫に思いを馳せていました。それは、他ではできない聖書体験がこうして実際に毎日できること、それが最も大きい収穫と驚きです。聖書の真実を次々と証拠をあげて語って来る旅、それが聖地旅行なのだと実感します。

次回(7/6)はヒゼキヤノの水路、モラン師のオフィス訪問、マフネ・イェフダ市場を予定しております。

(Mi)


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2016.06.21 13:12 | イスラエル聖地旅行
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